2007年5月25日金曜日

携帯電話の説明書の厚さにまいる

最近,携帯電話を買い換えた。
しかし,この新しい携帯電話がいまだうまく使えない。
多機能になるのは良いが,どう使ったら良いのかわからない。
説明書を読もうにも,あの厚い説明書を読もうという気にならない。
もうゲンナリという感じである。

多機能であるがゆえに,使いこなすのに時間がかかる。
説明書が厚くなる。
この問題はなんとかならないものかと思う。

前のモデルは3年以上使用していた。
そのモデルの説明書でさえも読むのが億劫だった。

そして今回のモデル。
さらに多機能となっているためか,説明書が何冊も付いている。
これをじっくり読む時間の余裕があるひとは少ないのではないか。
これを読めというのだろうか。

通話だけならば良いのかもしれない。
しかし,いまや携帯電話は「通話もできる端末」である。
メールなどの設定ができなければ,その価値は半減してしまう。

Webを見ようにも,
”~設定がOffになっています”
などというメッセージが表示され,先に進まない。
キャリアのホームページでキーワードを検索しても要領を得ない。
こちらは早く使いたいのだ!
もう我慢が出来なくなる。

こうした携帯電話を持っている人たちは
みな理解できているのだろうか。
私だけが要領が悪いのかとうらめしく思えてくる。

その点,海外の計測器などの説明書は素晴らしい。
簡潔に要領だけを説明してある。
必要最小限のものだけだ。
高度な使い方をしようとする人は,
内部の回路図やシステム図などを参考に考えれば良い。
わかる人にはわかるようにできている。

日本の説明書の悪い点は,
わからない人にわかるように説明する努力するあまり,
わかる人にはまわりくどい説明になってしまい,
結局,必要な情報にたどり着くまでの
時間がかかってしまうというところだ。

愚痴をこぼしても始まらない。
今週末は,携帯電話とにらめっこして,
なんとか使えるように設定しよう。

#しかし,最新モデルを買っても
付属ソフトウェアがVista対応でないのは本当に困る。
キャリア会社のサービスが悪いといわれても仕方がない。

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