2007年11月6日火曜日

私はあがり症だったりする

今日は朝から,ある研究に対するヒアリングがあった.
ほんの短時間のプレゼンで,
リラックスした雰囲気の中で行われたにも関わらず,
私はずいぶんと緊張していた.

一体全体,私はあがり症なのである.
これで良く教壇に立っているなと思うほど,
人前で話すのはドキドキする.

これまでのいろいろと緊張して失敗してきた.
そうした失敗の積み重ねが,
また更なる緊張を生む.

中学校卒業式で送辞を読んだ.
もう膝ががくがくして,前に座っていた学生が
指をさして笑っていたのを今でも覚えている.

日本青年館で合氣道部の演武をしたときに司会をした.
目がかすんで原稿が見えず.もうメタメタだった.
武道の修行を断念するかとまで思った.

結婚式の司会をやったときもそうだった.
舌をかみかみ,声は変に気取ってしまった.
今思い出しても顔が赤くなってしまう.

どうにもこうにも,
あがることからは逃げることはできない.
よく,あがり症の克服などと本やセミナーがあるけれど,
実際,本当にできるのだろうか.

でも私は依然として人前に立ち続けている.
これは,実は自分があがるのが好きだからかもしれない,と思っている.
自分が窮地に陥るのを意外に楽しんでいるのだ.
(究極のS,いやM?)

何か特別なことをするとき,
神経が過敏になり,血圧が上がる等の反応が起こるのは,
人間として当然のことなのである.
避けることはできない.
ならば,むしろ喜んでその状況を引き受けよう.

逆にもしも,なにをやってもドキドキしないのであれば,
どんなにつまらない毎日になるだろう.
恋人と会ってもドキドキしないし,
スポーツの試合でもドキドキしない.
これでは何を人生の楽しみとするのか,ということになる.

人間をシステムとしてみた場合,
環境からの刺激を受けて,その内部に反応が誘起される.
それは当然のこととして受け止めて,
そこで誘起される反応を観察し,
その信号レベルを把握するのが面白い.
過剰なレベルは困るけれど,
適切なレベルに制御できるならばどんなに素敵だろう.

人生には刺激が必要だ.
刺激を求めていけば,そこには何かしらの緊張を伴う.
あがるのは当然.
人生の楽しみのひとつなのだ.
まぁ,私が人前に立つのは
単なる話好きということもあるのだけれど.

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