ここに書いていることは,
あくまでも私個人の所見です.
責任はとれませんので,あしからず...
さて,小論文試験を課する目的で
最も一般的なものは,
「論理的な思考能力,文章を書く能力を知る」
ということである,と前回書いた.
どうせ明確な答えなど無いテーマについて
書かされるのだから,小論文は,
いかに読者を納得させるか,ということが
ポイントになる.
私の考えでは,そこに巧いレトリックの技術などは
不要である(あった方が良いとは思うけれど).
それよりは,文章の構成こそが決め手であると思う.
そして,読者を納得させることが目的である文章の
最たるものが学術論文である.
仮説や提案する手法について,
反論ができないように水も漏らさず説明する.
それができなければ,研究成果は論文誌に掲載されない.
学術論文はとにかく構成が大切である.
そして(だからこそ),どの(理工学系の)論文も
その構成はほとんど同じである.
つまり,「序論」,「本論」,「結論」である.
よく小説にありがちな「起承転結」は不要である.
「転」において,読者がどこに連れていかれるのか,
不安になるような展開はいらない.
定型の展開こそが,読者を安心させる.
その意味で,「結論先行主義」というのは
非常に役に立つ.
これは,自分の意見を述べる際に,
まず「結論」を明らかにし,続いてその理由を述べる
テクニックである.
論文全体の構成に当てはめると,
「序論」においてまず「結論」を述べてしまう.
続いて,なぜその結論に至ったかの根拠,理由を
順序良く並べていくのである.
そして,最後にも「結論」を再び述べて,
自分の主張に念を押す.
こうすることによって,読者は最後まで読まなければ
著者の主張がわからないというようなフラストレーションから
解放されることになるし,
文章を書く側にとっても,文章の構造を組み立てやすい.
この「結論先行主義」というのは,
文章全体の構造だけに当てはまるのではない.
各パラグラフ(段落)においても,
同様のテクニックが有効である.
一般に,各パラグラフの最初の文章と最後の文章は
重要であって,そこにそのパラグラフで著者が
述べたいことを置く.
そうすることによって,読者はより理解しやすく,
より強く印象を受けることになる.
このテクニックを多用しているのが新聞記事である.
段落最初の文章に,5W1Hなどの主要な情報を載せている.
私もこのことを強く意識するようになったのは,
英文論文の書き方の関する本を読むようになってからである.
欧米の大学では,「文章の書き方」という講義がある.
これがなかなか有用であるのだけれど,日本の大学では
こうした講義を設けているのは数少ない.
たまに学会で特別レクチャーとして組み入れられることがあるけれど.
そうした講義においては,この段落の始めと終わりの文章の
重要性を強調している.
あとはその文章の説明を構造的に並べていけばよい.
「構造的に」という言葉は,私の前の職場の上司から
繰り返し指導された言葉である.
やはり就職して最初の頃は,それが日本語の報告書であっても,
その上司から真っ赤に(朱色訂正の文字がびっしりに)添削されて
よく返されてきたものである.
その際には,よく「プログラムを書くように構造的に書け」と言われた.
現在それができているかどうかは別にして,
ずいぶんと理解できるようになってきた.
構造的に優れた文章は,読者の理解を妨げず,
すらすらと内容が頭に入ってくるような気がする.
英語で論文を書くときなどは,私のつたない英語力では
とても気のきいた文章を書くことなどには及ばないから,
とにかくしっかりとした論理構成を心掛けるようにしている
文章が単純であっても構成さえしっかりしていれば
読者は理解してくれるのである.
まずはひとつひとつの文章の巧さよりも
全体の構成を大事にしよう.
ここまで説明してきても,
やっぱり小論文を書くのに適しているのは,
日頃,大学で実験レポートを書いたり,
英文論文を読んでいる理工系の学生ではないかと,
私は思うのである.
ただ,こんな偉そうなことを言っても,
このブログを見れば私の実力の無さは明らかである.
残念ながら,私も修行中の身である.
それは,ご容赦願いたい.
でもでも,小論文の書き方については,まだ続きます.
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