最近はほとんど稽古に出る時間がとれず,
たぶん道着に袖を通すのは1ヶ月ぶりくらいのことである.
そしてこれが3月唯一の稽古参加となるのだから,
本当に恥ずかしいかぎりである.
金曜日は,剣と杖を少し稽古した.
これも今年初めて遣ったので,本当にヘロヘロの剣杖である.
人にはとても見せることができない.
しかし,剣と杖は,とても正直だと思った.
稽古不足が,そのまま技に現れる.
投げ技等の対人の技であれば,
相手をとりあえず投げてしまえば,
ある程度ごまかすことが可能である.
しかし,剣杖を稽古するとなると,そうはいかない.
真っ直ぐ振るだけでも,もう満足ができない.
独りで稽古するからこそ,ごまかすことができない.
自分の実力のなさに涙が出そうになる.
剣や杖というのは,自分に一番近い武器であるけれど,
一番遠い武器でもある.
それらは自分の思い通りに振るものではなく,,
彼らが勝手に動くことに,身体がついていく,という感覚が
一番相応しいような気がする.
自分で,なんとかしてやろうと剣を振ると
その剣は乱れてしまう.
「我」がそのまま現れて,結局思い通り遣うことができない.
それがある程度稽古して,剣と心が(氣が)一致してくると
剣がおのずと動いているような気がするから不思議である.
特に杖を遣っていると,自分が振っているのか,
勝手に動く杖に自分がついていっているのか,
わからなくなってくる.
そのような状態になってようやく少しは気が楽になる.
もちろん自分の目指すところには全然届かないが,
悔しくて涙が出そうになるということはない.
自分の思い通りにしようとすればそうならず,
剣杖に任せきってようやく自在に動くようになる.
この「我」を捨てるということが,
初歩ではあるけれど,実感できるのが
こうした武器の稽古である.
剣をひとつ振れば自分の状態がわかる.
現代に生きる私のようなものでさえこうなのだから,
昔の武士たちは,剣を振るときに何を感じていたのだろう.
そんなことに思いをはせるのである.
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