努力して得たときの感動だという話がある.
たとえば一つの技を修得する場合,
天才はあっという間にできてしまうが,
才能の無いものはコツコツと努力をして,
その末に技ができるようになる.
そのときに得られる感動は,
天才にはわからないだろう,ということである.
しかし,私は残念ながら,そうは思わない.
才能あるものはどんどん先に進むことができる.
そこには,歩みを進めることによってだけ
知ることができる素晴らしさがあるのだ.
その感動を,能力の無いものは味わうことができない.
そしてその感動を味わうことができるものは,
さらに高みを目指して努力するのである.
確かに私も思うのは,その人の成し遂げたこと(実績)は
どれだけ努力を積み重ねてきたか,ということに
最も強く相関があり,
才能の有無による相関は,
努力ほどは強くないということである.
(もちろん強い相関があることは間違いないのだけれど)
しかし,それは実績というものが
時間積分で効くものだからであって,
単なる能力の比較,競争であるならば,天才にはかなわない.
短時間でなにかを行う,あるいは勝負が決定するという場合には
やはり才能がものをいうということを
つくづく思う...残念ながら.
イチを聞いて十を理解できる人が確かにいるのである.
そしてあっという間にその知識・技術を自分のものと
できる人がいるのである.
(私は残念ながらイチを聞いてもそのイチを理解出来るか怪しい)
武道という世界を見ていると,
こうした事実の残酷さに悲しくなることがある.
(私は残念ながらイチを聞いてもそのイチを理解出来るか怪しい)
武道という世界を見ていると,
こうした事実の残酷さに悲しくなることがある.
まぁ,武道だけに限らないのだけれど.
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