長岡に引っ越してきて6年が過ぎた。長岡では,音楽に触れる機会がほとんどない。まして生のオーケストラの演奏会にいくことなど,まったく考えもしなかった。
関西にいた頃はそれでも年に1回程度,何かしらの演奏会に行っていた。それ以前に茨城県に住んでいたころは,水戸芸術館で開催されるコンサートに年に数回足を運んでいた(子供が生まれる前までだけれど。一番,演奏会に行っていたのは東京の大学の博士後期課程の頃だったろうか。その頃はコンサートに行って生演奏を聴くのが楽しくてしょうがなかった。いつでも東京ではコンサートが開かれていたし)
長岡には,そもそもオーケストラが来ることなどめったにないのだけれど,今回たまたま東京フィルハーモニーが長岡に来ることを知った。演奏曲目はなんとマーラーの交響曲第7番。対局である。そもそもマーラー7なんて聴く機会はめったにないから,ぜひ行きたいと思っていたのだけれど,最近の私のスケジュールはあとからどんどん詰まることが多いので,チケットを購入するのをためらっていた。そして,とうとうコンサート当日になって行けることがはっきりしたので,当日券もあるというので聴きに行くことしたのである。
会場に行って,当日券がわずかであるけれどあるということで,窓口に行って購入しようかというときに,後ろから杖をついた紳士が私に,「おひとりですか?」と声をかけてきた。「はい」と答えると,「私の隣の席のチケットが一枚余っているのでいかがですか」という。どうも奥様が急にコンサートに来られなくなったということらしい。その方は品もよさそうだったので,その方からチケットを譲っていただくことにした。席はS席で,前から3列目という演奏者の動きがはっきりと見える位置で,私としてはたいへん申し訳なく思うほどだった。当初,その紳士は代金は不要だとのお話だったけれど,私としてもとてもそういうわけにもいかないので,販売価格だけれどチケット代5000円はお渡しした。これで少しは気楽に演奏を鑑賞できる。。。正直,そう思った。
隣に座ったその紳士は,クラシック音楽ファンのご様子で,時にはわざわざ東京や川崎にまで足を延ばして演奏会に行くらしい。素敵なご趣味である。一方,私は6年ぶり以上の演奏会で,少しワクワクしていた。
東京フィルを聴くなんていつ以来だろう?今回は,本来この曲は首席指揮者のアンドレア・バッティストーニが振るはずだったのだけれど,なんとケガをしてしまったらしく,急遽,広上淳一が代役で振ることになった。そもそもこのコンサートは,本来はアンドレア・バッティストーニが11月に振るはずだったものが1月に延び,そして広上が振ることなったのである。やれやれ。
マーラー7の大曲なのに,急遽の代役ということで心配したのだけれど,演奏は良かった。さすがマエストロ広上。経験豊富なのだろう。しかし,演奏は良かったと思うのだけれど,この曲は複雑すぎて聴いていても(少なくとも私には)正直難しい曲なのである。メロディーに心を委ねるということができない。いろいろなモチーフが重なり合って,そして大きな音とともに演奏され,どうも支離滅裂に聞こえる曲なのだ。しかし,だからといって嫌いかといわれると,実はそうでもない。実際,この6年間,マーラーの作品のなかで最もよく聴いたのは(CDなどで)この7番なのである。特にアバド&BPOの録音を好んで聴く。
生演奏はいろいろな音がクリアに聞こえてくるので,やはりCDなどとは異なる感動が得られる。特にマーラーのこの作品は,ギターやらカウベルやら鉄琴,果てはムチ?などいろいろな楽器で演奏されるので,生演奏を聴いているとハッと気づかされて楽しいのである。80分を超える大曲だったけれど,おかげさまで集中して聴きとおすことができた。東京フィル&広上の素晴らしさに拍手。でも,曲が終わって楽員が立ち上がり聴衆に向かって挨拶するときには,楽団の顔に笑顔は少なくて,私は「演奏は期待通りではなかったのかな」と勘ぐってしまうほどだった。拍手が続き2回,3回とあいさつするうちにみなさん笑顔になってきたけれど,少しそれが気になった。私としては,作品を堪能できて十分満足だったのだけれど。
ということで,6年ぶりくらいのコンサート経験。思ったのは,「やはりときどき生演奏を聴かないと音楽の本質に触れることはできないなぁ」ということ。長岡に来て,大型のステレオセットで音楽を聴くこともない。PCの小さなスピーカーか,カーステレオで聴くばかりである。深く反省。残り少ない人生なのだから,せめて音楽会くらいは足しげく通いたいものである。
#広上淳一の最後の挨拶で,「昨晩,お酒を堪能させていただいた」「オーケストラがなくなるようなときは,人類滅亡のときだ」「震災で被災地の人たちに励まされた。彼らに癒しの時間を届けたい」という言葉が心に残った。