これだけ動画サイトなどが充実してくると,さまざまな武術の技術や教えが広く公開されることになって,現代は武術を学ぶ者にとっては江戸時代などと比べ物にならないほど便利な世界になっていることは間違いない。
たとえば,漫画「拳児」の原作者nお松田隆智が「謎の拳法を求めて」という本でいろいろな武術を紹介していた頃は,「柳生心眼流」や「陳式太極拳」,「八極拳」などと言われても実際の動きをほとんど想像できず,それらはまさに「謎」の武術であった。
漫画「男組」や映画「刑事物語」シリーズなどで,彼が監修した八極拳や蟷螂拳などが少し披露されているのを見聞きして,そんなものなのかと思う程度だったのである。月刊「空手道」,「武術(うーしゅう)」,「秘伝古流武術」,「フルコンタクト空手」などの雑誌や決して多くはない武道書がその情報源だった(「鉄砂掌」「実戦フルコンタクトカラテ実戦中国挙法太気拳」「What is karate?」あたりが懐かしい)。だからこそ映画「少林寺」(すべてが本物!という宣伝文句。リー・リンチェイの演武はブルース・リーやジャッキー・チェンのものとは全く違っていたこと)に衝撃を受けたのである。
しかし,現代は全く違う。従来,「謎の武術」と呼ばれていたものがどんどん紹介されているし,その一部の技術はなんと解説付きで公開されている。また伝説の名人・達人の動画も残っていたりして,彼らの技量の高さの片鱗がうかがえる。こんな状況は100年前には全く想像できなかっただろう。いや私が空手を始めた40年以上前においても考えもしなかった状況である。
武術修行者にとってなんと幸せな環境になったのだろう。昔は技を公開するだけでもはばかられたものである。なぜならその技を見せるときとは,己の命をかけて相手の死命を制する真剣勝負の場であって,自らの技術の情報を相手に開示するなんてとても怖くてできなかったからである。だから各流派には秘術がやまほどあった。印可状などの巻物を見ても内容が想像できない名称がそれぞれの技につけられている。しかし,現代ではそれが動画で公開され,誰でも見ることができるようになった。
そのうえ,それらの動画は,見る人が見れば技を公開している人の技量まである程度わかってしまう。昔は師をさがすのに3年はかけろ,と言われたものだけれど,武術家の実力なんて技を見ずにそうそう判断できるものではないから,技が非公開にされていた時代には良き師を見つけることは相当困難だったに違いない。初心者が公開されている動画を見て判断するのは難しいかもしれないけれど,ある程度実力がついてくると見えてくるものもあるはずである。今では良き師にたどり着くまでに3年は必要ないかもしれない。
つまりは,この情報共有時代は,なんと武道修行者にとって幸せな時代だろう,ということである。世界の各地に伝わる不思議な武術や修行法,あるいは創始されたばかりの新しい武術でさえ,私たちは目にすることができる。そしてある程度,「見取り稽古」もできるのである。なんと素晴らしい環境なのか。
技を秘匿する必要がなくなったというのは,結局現代は昔に比べ平和な世界になったという証左なのだろう。
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