2007年6月7日木曜日

誰かと繋がっていなければならないという不安

電車に乗れば携帯電話を開く学生たち。
私はつくづく今の時代に学生でなくてよかったと思う。
携帯のメールに縛られている彼らを見ていると,
なにか本末転倒のような気がして,
かわいそうに思えてくる。

メールの返答までの時間で友情が測れるのだろうか。
相手の反応を気にして,なるべく早く返答を出そうとする。

友達とつながっているという安心を求めて
メールをやりとりしていたはずなのに,
メールをやりとりすることに強迫されて,
疎外されてしまう不安を常に抱いている。

そんな友人関係などやめてしまえばいいと思うのだが,
それでも誰かとつながっていたいと思うのだから,
若い人にとっての友人関係は,どこか苛酷である。

ミクシ疲れなどもこの文脈で語られることだろう。
足跡を残す,コメントを残す,
そうしたことで関係の深さを測ろうとする。
コメントを残さなければ失礼だなどと非難される。
なんと窮屈な関係なのだろう。

昔,ポケベル(!)を学生たちが持ち始めたころでさえ,
私はもううんざりしていた。
誰が好き好んで24時間連絡を取り合いたいと思うのだろうと
ばかばかしく思っていた。

携帯電話もずっと持ちたくなかった。
さすがにそのうち持たざるを得なくなったけど。
しかし,くだらぬ人間関係を維持するために
そうしたツールを使いたくない。

携帯メールもメッセンジャーもミクシも
もうどうでもいいと開き直ってみてはどうだろうか。
そんなことで人間関係の深さを測ろうとする人たちと
友人であり続けることにどれだけの意味があるのだろうか。

独りって結構素晴らしいものだ。
メールの頻度が少なくてもちゃんと友人もできるし。

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