2007年6月22日金曜日

駿馬に鞭をあてる

最近の若い人は(定型句ですね),
叱られるとすぐにへこむ人が多い。
あるいはムッとした態度にでる。
ともすると逆切れする。
本当に扱いづらい。

叱られ方が下手な人が多い。
私もずいぶん叱られてきたけれど,
自分の中で反省したら,
私はそれで良いと思っている。

さらに相手は私のことを案じて叱ってくれているのだとしたら,
それはもう有難いことだと思って聞いている。
(相手のためを思って叱ることと腹を立てて怒ることは違う)

結局,相手が自分を叱る目的が,
自分の行動を変化させることであるならば,
そうすれば良いだけのことなのだ。
そうと決めたら必要以上にへこむ必要はない。
そう考えている。

私の武道の先生は,
「有難いのだからニコニコ笑って聞いていればよい」などと
おっしゃっているのだが,私もさすがにそこまではできない。


昔,墨子という思想家がいた。
一時期は儒家に匹敵する思想集団を形成していたという。
ただ教えは非常に厳格で,
やはり民衆には広く受け入れられなかったのか
いつのまにか姿を消してしまった。
最近は「墨攻」という映画も作られたので,
ご存じの方もいるだろう。

さて,その墨子と弟子の耕注子のお話。

あるとき墨子が弟子の耕注子を厳しく叱りつけた。
それでかなり落ち込んだ耕注子が,
僕はとりえのない人間なんでしょうか…」と墨子に尋ねた。

そこで墨子は,
もし私たちが大行山に登る大旅行をするとして,
駿馬と羊とに車を引かせるとしたら,
君だったらどちらに鞭をあてる?
」と尋ねた。

耕注子は,「駿馬に鞭をあてます」と答えると,
墨子は「なぜ駿馬に鞭をあてるのかい?」と再び尋ねた。

耕注子は,
駿馬だったら,鞭をあてられて
山を登る責務を果たすことができるからです
」と答えると,
墨子は,
私の場合も,君のことをその責務に足ると思うからこそ叱るのだよ
と言ったという。
(墨子 耕注篇)

叱られるということは,
有望と思われているからだと考えれば良い。
叱れば変わると思っているから叱るのだ。
そうでない人には,最初から叱ることをしない。

学生諸君のポテンシャルを信じているのである。

注:決してこの記事は,
叱ることを正当化するために
書いたのではありません(笑)

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