2007年6月21日木曜日

美味しい水

牛を水場に連れてきても,
水を飲むかどうかは牛次第だ。


という話をときどき聞く。
すなわち,周囲がお膳立てしても,
やるかやらないかは本人次第ということだ。

現代の若者はマクドナルド世代である。

OOはいかがですか?XXはいかがですか?

そう尋ねられたものについて答える。
向こうからやってくるものを選択すれば良い。
自分からつかみとろうとする努力が足りないような気がする。

ある大学の先生から伺った話。

(先生)「なぜ卒業研究を進めないのだ?

(学生)「だって,先生がデータをくれないから

(先生)「・・・(絶句)」

すなわち,実験データでさえも与えられるものだと思っている。
研究が進まないのは,先生が情報をくれないからだと思っている。
大学の研究でさえも,なにかの課題や演習と勘違いしているようだ。

研究では当然,自主性が求められる。
決して,先生がこうしろ,ああしろ,
という言葉に従って動いていればよいのではない。
自分で問題を見つけ,それを解決するということが求められる。
その手段も自分で見つけていくことが期待されている。
マクドナルドの店員のようにあれこれ尋ねてくれる人はいない。

大学では,そんな学生たちのモチベーションをあげるために,
あれこれと手を打っている。
(昔はそんなことはなかったのに…)
いろいろなプログラムを用意したり,
講義の内容,やり方も以前に比べれば
ずっと工夫されるようになってきた。
それでも,彼らは勉強をしない。研究をしない。
結局,水を飲むか飲まないかは牛次第なのである。

だが,先日ふと思った。
その水が非常に美味しいことを知っていたら,
こちらが飲むのをやめさせようとしても,
水を飲もうとするのではないか,と。

環境を整えてやるということも大切だけれども,
研究の面白さをどううまく伝えるのかが
もっと大切なのではないか
と思ったのである。
研究が面白ければ,なにも言わなくても
学生たちは喜んで研究してくれるだろう。

このことを思いついたのは,
蛍の唄を子どもが歌っているときである。

「こっちの水はあまいぞ」

と蛍に教えてあげれば,蛍は寄ってくるのである。

現実問題,研究はそれほど甘い水ではない。
しかし,もう少し研究の面白さを伝えることができればと思う。
学問・研究の面白さを伝えることが,
大学の講義の意義であると常々考えているが,
(そうでなければ教科書をマスターすれば十分)
それがまだまだ足りないということか,と反省。

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