2008年2月6日水曜日

実験レポートを読んで

今学期は,3年生の学生実験を担当した.
2年前まで担当していたのだけれど,
昨年から別の先生にお願いしていた.
しかし,その先生が豊中キャンパスで同じ時間に
1年生の学生実験を担当しなければならなくなったので
(各学科で順番に担当するらしい)
私が代わりに,再び担当したのである.
(ただし,今学期だけ)

実験内容は,高電圧発生装置
(マルクス・ジェネレータ)を用いた
放電実験である.
簡単に言うと,実験室内で雷を発生させる実験である.
雷(アーク)が電極間に発生するわけだが,
その特性が,電極間距離や電極形状,
その正負極性などによってどのように変化するかを
実験によって確かめるものである.

今学期は,この実験を主に情報コースと通信コースの学生が行う.
(電気コースの学生は第1学期に終えている)
彼らにとってみれば200kVを越える電圧なんて,
この先の人生,扱うことはそうそうないだろうということで,
確かに貴重な体験である.

アークが発生すれば,「バーンッ」という爆裂音がする.
だから実験を開始すると,たいていの学生たちはビビる.
放電を起こすトリガースイッチを押すのも
ビクビクしている.

しかし,放電はもともと確率現象である.
その特性データを取得するためには,
数多くの放電を試行する必要がある.
具体的には200回以上の放電を繰り返す.
だから学生たちがビクビクしているのは最初のうちだけで
放電を数十回も繰り返せば,当然慣れてくることになる.
そうした状況になってようやく実験の意味を
理解し始めるという感じである.
まぁ,目の前でアークを見るのは
ファンタスティックな体験であることには変わりないが.

実験終了後は1週間のうちにレポートを
提出することが求められる.
そして,今日,今学期分のレポートの採点をまとめた.

しかし,毎年,学生たちの実験レポートを読むと
腹がだんだん立ってくる.
今年も変わらずそうであった.

なぜ,そんなに私が怒るのか.
それは,多くのレポートが,友達のレポートからの
あるいはWeb上のページからのCopy & Pasteで
成り立っているからである.

だからいくつもレポートを読んでいると,
全く同じ記述に何度も出くわすことになる.
教員を馬鹿にしているのだろうか.
明らかにばれることを了解してCopyしているのだから,
確信犯には違いない.

最近は,学生といえど,
実験レポートはPCを使って作成されることが多い.
だからCopyは本当にやりやすくなっている.

また,Wikipediaをはじめとしてネット上には
情報があふれていて,それを引用(正確にはCopy)することも
非常に易しい.
だから学生に似つかわしくない専門的な記述が
レポート用紙を埋めることになる.

だが,それらの情報をCopyしたからといって,
その学生のスキルや知識が向上するだろうか.
当然のことながら,そんなことはあるわけがない.
少なくても,それらを参考に自分の頭で考えなおし,
自分の言葉で語りなおす必要があるのではないだろうか.
自分の頭というプロセッサで,
自分に役に立つ情報に加工しなければ意味がない.
Copy & Pasteでは,自分の知識に変わりようがない.

一番信じられないのは,
学生たちはそれらの行為が悪いと思っていながら,
そして,それらがバレるのをわかっていながら,
平気でCopy & Pasteを繰り返すことである.
良心のかけらもない.
こちらは悲しくなってしまう.

だから私は,書いてあることが立派でなくても,
自分の言葉で書こうと努力しているレポートに
高得点をつける.

他人のレポートからの明らかなCopyは許さない.
また,とてもこの学生が書いているとは思えない
文章に出会った場合には,WikipediaやGoogleで検索をかける.
だいたいどこかで見つかることになる.

そうした情報を参考にするのは許すけれど
(基本的に私は,ネット上の情報をあまり信用できないのだけれど)
Copyは許さない.
発覚したら低得点にする.
本当に教員をだませると思っているのだろうが,
そうはいかない.

レポートは,内容が立派であることが第一義ではない.
学生がどのような思考過程によって,
実験から結論を導き出すか,それを知るために
提出させるのである.

オリジナリティやセンスの無いレポートを読むことほど,
苦痛なことは無い.

2 件のコメント:

  1. 大学での実験レポートについて

    私も20年ほど前、大阪の私立大学の工学部機械工学科で、学びました。
    その当時、パソコンはDOSで、ワープロは一太郎、研究室に数台有るぐらいでしたか。
    インターネットも、パソコン通信も無かったですね。

    実験のレポートといえば、部活とかの先輩からの伝承だったかな。

    ひとつ思うのは、高校~大学の12年で、実験のレポートの書き方を習って無い様に記憶してます。高校、大学と、技術を学ぶのは大事ですが、レポートやプレゼンの作り方、まとめ方を、もっと時間を掛けて教えて欲しいと思います。私は、卒業研究で、OJTでレポートの書き方を学んだと記憶してます。
    (私が不勉強だったのかな)
    会社に入って、レポートやプレゼンの技術の必要性を感じております。
    この辺は、アメリカとかはもっと学校で教えてるのではないでしょうか?

    レベルの低いコメントですので、ぜひ先生のご助言をいただければありがたいです。

    以上

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  2. mochaさん,コメント有難うございます.
    すみません,気づくのが遅くなりました...コメントをいただき,大変ありがたいのですけれど.

    さて,おっしゃる通り,現在の社会においては,コミュニケーション力というものが大変重視されていますよね.たぶん現場にいらっしゃる方々は,そのことを実感されているのではないかと思います.

    コミュニケーションの重要な一つである,プレゼンやレポートは,その重要性は誰もがわかっているのにもかかわらず,その教育の場が少ないというのが現状です.

    ご指摘の通り,アメリカですとレポートの書き方やプレゼンやディベートなどの授業が小さい頃からあり,それらの基本は学校で身につけることになっています.

    日本では,そうした講義は少ないので(ある大学もありますが),だいたい理系では研究室に配属されたのちに,教員や先輩から指導をうけるということになります.まぁ,私自身も前の職場で,プレゼンのイロハを教わったように思います.

    しかし,社会からの要請もあり,最近ではそうしたプレゼン力を磨く取り組みも大学内で始まっています.学生にプレゼンをさせて,改善点を指摘するとか...大学も努力し始めています(と,一応言い訳させていただきました).

    プレゼン力が不足していると,現在では会社の採用試験に受かりません.
    私はそれよりも人に説明する能力は,自分の頭の中の論理力,ものを考える能力に大きく影響するものだと思うので,もっと小さい頃から磨くべきだと考えています.

    ちょっと,コメントが長くなりすぎたのでこの辺でまずは切り上げます.

    また,ご訪問いただければ幸いです.

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