2008年2月26日火曜日

どこかでなにかが

昨日,今日と大学の二次試験が行われている.
受験生のみなさんは,これまでの努力が実ると
いいですね.

そして研究室では,卒業研究の最後の追い込みをしている.
4年生も修士2年生も,必死で論文の作成に追われている.
研究室に泊まる学生も多い.
こうした時期は一種の通過儀礼なのだ.
これを終えることによって,
なんとか大学を卒業,
あるいは大学院を修了したと認められるのだ.

しかし,学生たちにとっては,
受験生からここまで4年,あるいは6年の
年月が流れている.

たぶん受験生の頃は,毎日勉強するのが
それほど苦ではなかったに違いない.
それが,大学生活のうちに,
どこかでなにかが失われてしまう.

高校時代までの勤勉さは消失し,
単位と学位だけを追求する
功利的な行動をとるようになる.
いったい何のために大学に入るのか.
その大事なところがわからなくなってしまっている.

私も大学時代は勉強した方ではないけれど,
今の学生よりはちょっとマシなのではないかと思う.
もっと大学での勉強に目的があった.
また楽しくて勉強する講義もあった.
(もちろん,全部ではなかったけれど)

現在の学生は,就職のために「卒業」とか
「修士号」を必要としている.
だから単位だけあればいい,
卒業さえできればいいと思う.

講義が面白くない,という批判は甘んじて受けよう.
しかし,たとえ講義が面白くなくても,
自分で勉強したっていいじゃないか.
専門書を自分で何冊も開いてもいいんじゃないか.
そもそも勉強は自分の知識を
広げるためにあるのではないだろうか.

大学に入る目的が単に単位を揃えて,
卒業するというだけでは,
この4年間あるいは6年間の価値は,
一体どれほどのものになるだろう.

大学時代に,受験生の頃の志が失われてしまうのであれば,
私たちは,その原因を考えてみなければならない.

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