2008年4月7日月曜日

青雲の志

中国からの留学生を
関西空港に迎えに行った.

まだ若い女子学生である.
親元を離れて日本に留学するというのだから
本当に頭が下がる.

聞いてみると兄弟はいないのだという.
一人っ子政策ということらしい.
しかし,たった一人の娘を
海外に留学させようとするご両親の
心中を思うと,本当に切ない思いがする.

しかし,彼女はいたってポジティブである.
一生懸命頑張ることしか考えていない.
日本で学位をとって,母国に帰るのだという.
日本に来るのが初めてどころか,
海外に出るのも初めてと聞いて,
本当に大丈夫かと心配してしまう.

私も大学入学時にふるさとを離れるときには,
このような青雲の志を抱いていたのだろうか.
そんなことは,もうすっかり忘れてしまった.

ただ,新潟で買い込んだ家財道具を
そんなに大きくはない自家用車に積んで,
新潟から東京まで父親に運転してきてもらったのは
覚えている.

当日は春だというのに雪が降り,
関越道は途中,チェーン規制されるほどだった.
雪の中,父が車の外に出てチェーンを
つけてくれたことがずいぶんとうれしかった.
チェーンを取り付けてくれただけのことではない.
そうやって,いろいろと身の回りのことを
これまでずっと私の代わりにやってくれていたのだと
不意に理解したのである.

横浜の学生寮まで送ってもらって,
父はすぐにまた新潟に運転して帰って行った.
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった.
車が見えなくなるまでずっと門に立っていた.

しかし,故郷が恋しいとか,親が恋しいとか,
そんなことは全くなかった.
そして大望を抱いていたかどうかは
定かではないのだけれど,
初めて寮の部屋で過ごした夜のことはよく覚えている.
部屋の外からカーテンを通して入ってくる光に
青白く照らされた蛍光灯を
布団の中であおむけになって見ながら,
翌日から始まる新しい人生にワクワクしていた.
それまで感じたことはなかったけれど,
自分を縛っていた故郷と両親の重力の存在を
初めて認識した日でもある.

あれからずいぶんと長い時間が経つ.
今日の留学生の姿を見て,
思いもかけず,20年以上も前の自分を思い出した.
あのときももう桜が満開だった.

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