2008年4月24日木曜日

Armchair Detective

大学教員は実験三昧かというと,
実は全くそうではない.
ほとんどが毎日の雑務に追われて,
デスクワークに終始している.
研究の時間を絞りだすのが難しいというのが
かわいそうな本当の実情である.

そんなわけで実験は学生が中心に行う.
そして実験では,いろいろな問題が生じるから,
データなどの資料をもって私のところに
バラバラと相談に来ることになる.

ここからが大変である.
一緒に実験をしていれば,
どういう状況かすぐに理解できるのだけれど,
そうではなないから,状況の把握は
学生の説明に頼らざるを得ない.
しかし,その学生が説明してくれる状況が
どうも要領を得ない.

そこで結局,回路図と波形データをもとに
実験状況を聞きだす質問を学生に繰り返し,
うまくいかない原因を推理することになる.
まるで探偵のようだと時々思う.

事件の現場に赴かず,
いろいろな人の話から手掛かりを得て,
事件を解決に導く探偵を
"Armchair Detective"(安楽椅子探偵)と呼ぶ.
アガサ・クリスティーのミス・マープルなどが
その代表である.

私も机の前の椅子に座りながら,
学生の話からヒントを得て,
原因を推定し,それを解決する実験方法を提案する.
まさにArmchair Detectiveである.

しかし,それでは悲しい.
やっぱり現場に赴いて,
一緒に実験を行うのが一番いい.
実験はどんどんはかどるし,
なによりも私が楽しい.

探偵小説の中ではArmchair Detectiveは
皆から称賛されるけれど,
研究者としては,とてもほめられたものではない.
やはり研究者は現場第一主義でなければならないからだ.

今年は,Armchair Detectiveではなく,
シャーロック・ホームズのように
行動派の探偵のようにありたいものである.

(まぁ,ときどきホームズもArmchair Detectiveみたいなことを
やるのだけれど)

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