2008年4月14日月曜日

本を読んで,映画も見たい

大学に転職したら,
もっと本を読んで,映画も見ようと思っていた.
しかし...

やっぱりどこの職場も同じである.
時間がどこからかふって湧いてくるわけではない.
自分から強制的に時間は確保しないと,
いつまでたっても,時間不足になるらしい.

世の中のツールが便利になればなるほど,
人間の生活に余裕ができると昔は考えられていた.
ロボットが人間を単調作業から解放し,
パソコンが文書作成から計算まで短時間でやってくれる.
その代り,人間はより人間的な生活を送ることができる,
あるいは創造的な仕事に従事することができる,
と夢見てきた.

しかし,実際は違った.
生産性は向上したのは間違いない.
ただそれで生まれた余分の時間は,
さらに別の仕事にふりかえられたのである.
そこに誤算があった.

モバイルツールは,24時間仕事に従事することを要求する.
電子メールをチェックしなかったことを責められる.
そんな時代がやってきてしまった.

ミヒャエル・エンデの児童文学「モモ」を思い出す.
物語では時間泥棒が人々の大切な時間を奪っていく.
どうだろう.
今は,その時間泥棒が跋扈している.
どんどん「私の時間」が盗まれていく.

本はまだいい.
すきま時間に,少しずつでも読み進めることができるから.
しかし,映画はいけない.
やはりまとまった2時間程度の時間が必要になる.
ゆっくりと家のカウチに寝そべって,
映画を楽しみたいものである.

家にはいつのまにか,
「ボーン・アイデンティティー」と
「ボーン・スプレマシー」のDVDがあった.
うちの奥さんが買ったらしい.
その他にも
「燃えよ,ドラゴン」とか
「Matrix」とか,
まだ見ていないDVDがいろいろと棚にある.
私はそのケースのタイトルを眺めるだけである.

なんとか時間を確保する.
そしてゆっくりとDVDを楽しむ.
これを近々の目標としよう.

#正月に録画した「のだめ」も観ていないことに今気づいた.

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