2008年10月20日月曜日

ネットは「物知り」を殺す

今日は大学の2年生の歓迎会
(私が所属するコースと呼ばれるグループの)
だったので,少し酒を飲んでしまった.
若い人たちと飲むと,
うれしくなってついつい酒の量が多くなってしまう.
というか,酒の量は大したことはないのだけれど,
短時間に飲む酒の量が多くなって,
どうもうまくいかない.
ちょっと酔ってしまって,
キーボードを打っているこの手も
少しおぼつかなく,ミスタッチが多い...

今日は,いろいろと体験をしたのだけれど,
それは明日以降に記事にすることにしよう.
今日は,土曜日のお話をする.

土曜日は,パワーエレクトロニクス学会の研究会で
講演をした.まぁ,出来は65点くらいだろうか.
合格点はかろうじてクリアしたが,
情熱が伝わったか,眠っている人はいなかったか,
と反省すると,やっぱり点数は低くなる.
まぁいい.過ぎてしまったことは
取り返しがつかない.
反省だけはしっかりとして,
あとは次に頑張ることにしよう.

さて,学会の後は,学会の役員の方々と
盃を交わした.
年齢的には,近いと言えば近く,
離れていると言えば離れているような
3人で大阪梅田の居酒屋で飲んだ.

内容は...
ちょっとここには書けないかな...
面白かったのだけれど,
もしかすると書くことに問題があるかもしれないので,
詳細についてはここには書かない.

個人的には,いろいろ興味深く,
非常に勉強になったのだけれど,
その内容とは別に抱いた感情があるので,
それについて話したい.

私は,話の内容とは違うところで,
私はバブル時代の終焉をあらためて感じていたのである.
話している内容は非常に実際的で
興味深いものだったのだけれど,
それとは別に私の頭の中では
3人の年齢を考えてか,
バブル時代のあの雑学偏重時代は
すでに終了したのだなと
あらためて実感したのである.

雑学偏重主義とは,バブルの時代,
女の子に持てるためには,いろいろなトリビアルな知識が
必要とされた.
たとえば,バーボンを飲めばバーボンの蘊蓄を,
ワインを飲めばワインの蘊蓄を,
食事をすれば食材と調理法の蘊蓄を,
オペラを聴けばオペラの蘊蓄を,
語ることによって,女の子への面目が立っていたのである.

ワインを飲めば,それは産地はどこで,
それにはどのような歴史があり,
そしてどのような特徴で,
だからどのようにして飲むのが良い,
ということを,ひと通り知っていることが
男の子のモテる条件であった.

私もその時代の男の子だったので,
アッシー,メッシー,つなぐ君,
などの男たちと一緒で,
全く自分の魅力とは関係のない
雑学を頭に詰め込んでいた.
(正直に言うと,女の子にモテたい,
ということではなくて,
そうしたことを知っていることが,
時代の要求だったように思う)
一級蘊蓄士などという称号で呼ばれたりしていた.
それだけ,知識,それも隠れた知識,
というものが重宝された時代であった.

たとえばあの時代のブランド人気もそう.
なぜそのブランドが皆にもてはやされるようになったか,
その隠れた魅力(知識)を理解してこそ,
そのブランドの魅力を知るのである.l
そうしたブランドが,バブル時代に
必要だったのである.

そして現在.
土曜日に,学会の役員の2名の方々とで飲んでいた時に,
そうした時代がなぜか思い出されたのである.
3人がバブルを経験していたからかもしれない.
とにかく,あのころの自分を思い出した.
そして恥ずかしくなった.
確かに,あのころはそれが時代の要求だった.
しかし,その知識を身につけたからといって,
現代に何のメリットがあるのだろうか.

現代は,そうした知識は,
インターネットで検索すれば,
いやというほど得ることができる.
結局,だれでもほぼ無尽蔵の知識を
得ることができる立場になった.

では,現代において一級蘊蓄士と呼ばれることの
意味はあるのだろうか.

私は,そこに創造力の必要性を認識する.
上述したように,単なる知識であれば,
携帯電話からWikiを引けば,
ほとんど意味が足りるのではないだろうか.
しかし,必要とされるのは,
その知識を活かす智慧である.
創造力である.

インターネットは,単なる「物知り」の価値を
大幅に下落させたのである.
これからの世の中,
創造力が求められるのであろう.
バブルのモテる男の時代は終わったのだ.
単純な知識ではない,智慧.
それを時代は求めている.

そして,インターネットは罪である.
知識の価値を大きく下げてしまった.
単なる「物知り」にはもはや価値がない.
彼らは,ネットによって殺されたのである.
そして,インターネットは希望である.
新たな智慧の創造が期待できる.

もう雑学を披露する時代は
終わったのだな,と私は思い,
土曜日に,酒を飲んでいた.
そして時の流れを実感していたのである.

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