2008年10月27日月曜日

会話はリズムというけれど

先週末は結局仕事でつぶれてしまった.
土曜日は,午前から大学に来て仕事.
昼は,大阪工業大学に行って,
パワーエレクトロニクス学会若手幹事会に参加.
夜は,また大学に戻ってきて夜中まで仕事.
日曜は日曜で,家で仕事三昧だった.
なんとか仕事を終えるめどはついたけれど,
もう少しスマートに仕事は進めたいものである.

土曜日の若手幹事会.
相変わらず,学生のみなさんは頑張っている.
大学院,大学,高専の代表の学生たちが,
12月に開かれる研究会について
アイデアを絞っている.
はたからみていて,ずいぶんといい感じ.
もう少し,周囲を気にせず,
発言ができるといいのになぁ,とは思ったけれど,
それを練習できるのがこの場である.
さらに努力をしてほしいなぁ.

さてその日,会場の大阪工業大学にバスに乗って行く途中,
公園で街頭演説が行われているのを見た.
どこかの党首が来ていたらしい.
意外に聴衆は多く,警備もものものしかった.
スピーカから流れる演説を
少し耳にすることができたのだが,
さすがに話し方がうまい.
バスで通り過ぎる短時間のことなので,
話している内容はわからなかったけれど,
その話し方のリズム,間の取り方が,
耳を惹きつけるものになっていた.

このリズム・間というものは
文章に表すとずいぶんとその情報量が落ちてしまうので,
あまり話題にならないようだけれど,
(小説家では,文体とか作風とかの話題になるのかな)
会話や講演などにおいて,この二つの要素の影響は
非常に大きいことは間違いがない.

以前にプレゼンは印象が大事と記事に書いたけれど,
話しぶりというのがその印象の良し悪しを大きく左右する.
話を聞いていて,やっぱり気持ちの良くなるような
リズム,間というものがある.
そのプロというもののひとつが落語家であり,
また別のひとつが政治家ということなのだろう.

ただ,落語家は話している内容が大切だけれど,
政治家は内容は二の次である.まずは印象第一なのだ.
一生懸命である,みんなのために働いている,
親しみやすい,などなどの印象を聴衆に与えることができれば,
目的は達成されるのだ.
私が見た街頭演説は,その政治家の技術が
試される機会であるのだろう.
私もそのうまさにうならされたわけである.

でも,でもである.
政治の場合はやっぱりそれではいけないと思う.
印象だけで騙されてはいけない.
そこはしっかりと区別して聴く技術を
私たちも磨くべきである.

ただ,面接試験や講演などにおいては,
そうした会話の技術は大変重要である.
学ぶべきところは学んで,
自分のスキルアップにつなげよう.

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