2009年12月3日木曜日

最近,カンフー映画が少ない気がする

最近,カンフーや空手の映画が少ないなぁと思う.

以前のような,ジャッキー・チェンの「笑拳」,「酔拳」,
「蛇拳」,「少林寺木人拳」,「成龍拳」,
「ヤングマスター」,「バトルクリークブロー」などの映画や,
「少林寺三十六房」とか,リー・リンチェイの「少林寺」とか,
そうしたカンフー映画全盛期が懐かしい.
次々と新しいカンフー映画が封切されていたなぁ.
(私が好きなのはブルース・リーなのだけれど,
残念ながら時代があわなかった.
意外なところでいうとラルフ・マッチオの「カラテ・キッド」か.
そういえば日本も剣豪映画というのも全然作られないなぁ)

以前のカンフー映画でお決まりなストーリーといえば...

心やさしい若者がおじいさんに出会う.

おじいさんは実は拳法の達人で,拳法を習い始める.

ハードな鍛錬

一度強くなるが,
好敵手があらわれ,コテンパンにやられる

さらにハードな鍛錬

主人公の知り合いがピンチ

好敵手と戦って勝利!

というような感じだけれど,ここに欠かせないのが
ハードな稽古シーンである.
とても普通の人間にはできないような鍛錬を経て,
主人公は超人へと進化するのである.
(この同じパターンは,映画のロッキー2,3,4,
あるいは少年ジャンプのマンガに踏襲されている)

一体,武道にはハードな鍛錬は必要なのだろうか?

私は,肉体的にハードというよりも,
精神的にハードな鍛錬は必要であると考える.
昨日も書いたように,肉体を鍛えるだけでは不十分である.
稽古によって人は超人になろうとするのであって,
(正確に言うと,超人ではなく,至極まっとうな人間になる)
ゴリラになろうとするのではないのだ.
したがって,単なる繰り返し練習よりも
常に工夫した練習が必要となるはずである.

山岡鉄舟の論によれば,稽古は
大工の鉋をつかうのと同様に,
「荒しこ」,「中しこ」,「上しこ」の段階があり,
全身全霊を込めて行う「荒しこ」の段階が肝要だという.
この「荒しこの精神」なくば,その上の段階に進めないと.
やはり「精神」なのである.

だれもがそれを暗に理解している.
だから少年ジャンプの鉄板ストーリーが
みんな好きなのだ.
分かりやすいビルドゥングスロマンなのだ.

最近カンフー映画が少なくなったということは
もう昔のお気楽なストーリーに夢を見る人が
少なくなってしまったということなのだろう.
それはある意味悲しいことである.
努力の先には,成功があるとは限らない...

この10年のカンフー映画に限ってというと
私のお気に入りは「グリーン・ディスティニー」にとどめをさす.
やっぱり,チャン・ツィイーのかわいさには参ってしまうのだ...

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