2009年12月1日火曜日

「邪法」である武道とは

日頃,武道を修行するにあたり,
自分の至らなさにほとほと失望するのだけれど,
それでも稽古を続けていられるのは,
自分が正しき方向に進んでいるという自負の
ためなのかもしれない.

武道は強きを論ぜず正しきを学ぶものと知る

とは,心身統一合氣道宗主の藤平光一先生の
お言葉であるけれど,「強きを論ぜず」という
ところが好きである.

ただ強いならば,人間はゴリラに勝てない.
つまり体力勝負である.
筋肉だけを鍛えて勝つというのは,
強いとはいえるけれど,武道と言えるだろうか.
力さえあれば(打撃系であれば,打たれ強さがあれば)
技は不要である.
(まぁ,そこそこの技は練習するわけだけれど)

敵に対するやいなや,勝気にはやって
血気の力で相手に勝とうとするのは,
「邪法」であると,山岡鉄舟も厳しく批判している.
(もっと批判しているのは,針ヶ谷夕雲だけれど.
彼は勝負にこだわる剣法を「畜生剣法」とまで
呼んでいる)

こうした「邪法」では,中年を過ぎ,
あるいは病にかかって身体が不自由になると
力が衰えて業にふれて剣法を学ばないものにも
及ばなくなってしまうといい,
修行が無益になるのだという.

「正しい武道」はつまりは,力だけに頼らず,
業をもって制するのである.
山岡鉄舟は,極意は別に法なし,
敵の好む処に随ひて勝ちを得るにあり,と
言っている.
そうした武道が私の理想である.

ただ使えない武道は無意味であるとも
十分承知している.
心だけでは十分ではない.
心と業をともに磨かねばならない.
「事理一致」とは,「事」は業であり,「理」は心である.
歳をとっても強くなることができなければ,
何のために修行をしているのだろう.

そう自分を勇気づけて,
細々とではあるけれど,なんとか稽古を
続けているのである.

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