時はすでに師走なのだ.
先日,通勤時にNHK FMを聴くと,
ベートーヴェンの交響曲第9番が流れていた.
やはり年末なのだと実感する.
確かに12月に入ってからの時間の進む速さは,
光速に近づいている気がする.
(光速に近づけば,時間はゆっくりと進むはずだが)
交響曲第9番はもちろん名曲中の名曲で,
日本の年末には欠かせないものだけれど,
それは日本に特有の状況だということは,
以前にも書いたような気がする.
まぁ,オーケストラの人が餅代を稼ぐために,
合唱の人もチケットを売りさばいてくれて,
集客が期待できるこの曲を年末に演奏するというのが,
もっともらしい理由として伝わっている.
私も確か黒柳徹子さんがそのように話していたのを
テレビで見たような気がする.
黒柳さんのお父様はNHK交響楽団のコンマスだったのだっけ?
第九を年末に演奏し始めたのはN響だったような気がする.
そのお父様の話として聞いたような覚えがある.
さて,第九で有名なのはなんといっても
合唱がつく第4楽章であるけれど,
最初から合唱が始まるわけではない.
第4楽章冒頭.
まず不協和音が轟音として響く.
ここで第3楽章でウットリしていた聴衆がびっくりする.
そして,第1楽章の主題が流れてくる.
ここで聴衆があの素晴らしい第1楽章を思い出す.
(私は大好き)
すると弦楽器がそれを否定するように
(本当に人間がしゃべるように)
旋律を奏でる(器楽レチタティーヴォ).
次に,第2楽章のスケルツォの旋律が聞こえる.
旋律が進んでいこうとすると,やはりそれを遮るように
弦楽器が旋律を奏でる.
「いや,いや,それは違うのだ」というふうに.
そして,第3楽章の旋律が流れ,
あの夢のような雰囲気が戻ってくる.
また弦楽器が否定をしようとするのだけれど,
今度は手強い.
人間の心は第3楽章で描かれる楽園を
離れがたいということなのだろう.
また第3楽章の旋律が戻ってくる.
しかし,結局弦楽器がそれを否定する旋律を奏でる.
じゃぁ,なにがいいの?と聴衆は聞きたくなる.
そこであの歓喜の主題が,低音で柔らかく
そして遠くから聞こえてくるのである.
低弦から徐々に高い音の楽器に旋律はリレーされていく.
そしてはっきりと私たちは歓喜の主題を認識する.
「あぁ,私たちはこれを待っていたんだ!」と
思わされてしまうのだ.
すべてはこのタイミングのためにあったという感じに.
弦楽器が織りなす歓喜の旋律から管楽器が
高らかに鳴り響いて終わる.
そしてまた不協和音.
「友よ,そんな音じゃないんだよ!」
とバリトン独唱.
それから各パートの掛け合いがあって,
あの有名な合唱へと続いていくのである.
こんな感じだと知ってました?
歓喜の主題に至るまでの道のりは長いのだ.
もともとは第4楽章のためには別の楽章があったらしい.
この不採用となった楽章は弦楽四重奏曲第15番に
転用されているとのこと.
こちらもぜひどうぞ.
しかし,ベートーベンという人は,
いろいろなアイデアを試しているんだなぁ,と思う.
(この曲を書いたのは50歳を過ぎてからである)
なぜなら自ら書いた(それも素晴らしい)音楽を
否定する冗談音楽みたいなものを書いたのであるから.
聞かされている私たちもびっくりである.
(当時の人達も多分びっくり)
しかし,それが現在では名曲中の名曲となっているのだ.
ただのこけおどしでない滋味あふれる深みが
この曲にはあるからだろう.
ブラームスが第1番交響曲において,
この歓喜の主題に似ている旋律を用いたのも,
シューベルトがピアノソナタ第20番4楽章で
あの素直ななんの飾りもない旋律に行き着いたのも,
どこかでつながっているからに違いない.
そんなことをこの年末に思ったりしているのである.
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