中学生1年の夏休みに東京の親戚を一人で訪ねていったことがある(1980年?)。その頃は,東京にも何軒か親戚がいて,いくつかの親戚の家にお世話になる予定だった。
そのうちのひとつが,新潟の本家から上京して働いている姉妹であって,東京見物に付き合ってもらった。たぶん,私が中学1年ということもあったからだろう,浅草や東京タワーとかではなく,若者の街「原宿」を案内された。竹の子族はいたとは思うけれど,一世風靡はまだいなかった時代である。
正直,その頃の原宿がどんな街だったのか,全然覚えていない。私はTシャツになぜか白いテンガロンハットをかぶって(写真がどこかに残っていたはず),その姉妹の他にいとこの女の子と一緒に原宿を歩いたのだと思う。
原宿で唯一覚えているのは,おしゃれな喫茶店に入ったこと。メニューを見ても理解できないものがいっぱい並んでいて,すごく緊張した。
「プリンアラモードってなんですか?ブリンと違うんですか?」
と尋ねたことを今でも覚えている。親戚のお姉さん方は笑いながら,「注文してみればいいよ」と言ってくれて,私はサンドイッチと一緒に頼んだ。
そのプリンアラモードは,想像を超えたプリンだった。いまではどこの喫茶店でもある(スーパーでもカップで売っている)ありふれたメニューだけれど,当時の田舎者の私には,まさに初めての「アラモード」だった。なんたって,大きな皿のプリンの脇に生クリームとサクランボが乗っていて,周りがリンゴなどのフルーツで飾られた,ゴージャスで夢のようなプリンだったのである。あまりの華やかさに味なんて全く覚えていない(まぁ,40年以上も前に食べたプリンの味なんて誰も覚えちゃいないけど)。
でもその時,プリンよりもっと驚いたのが,サンドイッチだったのである。なぜって,それは焼かれたトーストの間にゆで卵などの具が挟まっていたから。そう,ホットサンドイッチを食べたのもそのときが最初だったのである。サンドイッチには野菜やハムなどがあふれんばかりに挟まれていて,ボロボロ落としながら食べた。そのマヨネーズも本当に美味しかった。こちらの味はいまでもぼんやりと思い出せそうである。
それまで,白くて薄い三角食パンで挟まれたサンドイッチしか食べたことがなかった私が,生涯サンドイッチ好きになったのはこの時の衝撃が忘れられなかったからかもしれない。東京は,新潟となにもかもが違う最先端の街なのだとつくづく思ったのである。
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