2025年6月8日日曜日

長嶋茂雄,夢と憧れの喪失

 長嶋茂雄さんの訃報を聞く。多くの人が思っているだろうけれど,やっぱり昭和の時代が終わっていくのを感じる。しかたないことだけれど,寂しい。

私が長嶋茂雄を認識したのは,小学生2~3年生の頃。近所の子供たちと公園で「手打ち野球」をし,父親と少しキャッチボールをするくらいでしか野球に興味がなかった私は(今でも運動音痴のままだが),長嶋茂雄などよく知らなかった(と思う)。

それが,近所の子供がチケットを手に入れたというので,一緒にミズノ(だったかな)の野球イベントに参加した際,最後にくじ引き大会があって,確か2等が当たったのだ。景品は「ミスタージャイアンツ 栄光の背番号3」(うろ覚え)というLP2枚組のレコードで,たいして野球に興味のない私はとまどったことを覚えている。

そのレコードには,長嶋のインタビューやらホームランのときの実況,そしてあの引退のときの有名な挨拶などが録音されていて,私も何度か針を落として聴いたはずである。けれど,正直,長嶋の現役時代を知らない私にとってはあまり関心あるものではなかった。

私が知っている長嶋はむしろ監督時代のものである。私の父がアンチジャイアンツだったので,私は長嶋監督の敗戦時のつらい表情をよく覚えている。もちろん,長嶋は監督としても日本一になったし,何度もリーグ優勝もしているから,笑顔もいっぱい見ているはずだけれど,監督時代のなぜか苦渋の表情の記憶ばかりがある。

しかし,私にとって長嶋茂雄で最も印象的なのは脳梗塞で倒れて以降の彼の姿である。超一流の野球人であった彼は,半身がうまく動かなくなってしまってからの自分をどう考えていたのだろうか。それがずっと気になっている。

脳梗塞後も彼はテレビ等に出演していたが,そのリハビリをする姿に私は大いに感動していた。内心は悲観することも多々あったはずだけれど,いつも明るく,笑顔で,つらいリハビリに挑んでいた。私は超一流選手であった人が不遇の状況にあるときにどのように生きていくのかにたいへん興味があるのだけれど,長嶋のリハビリ人生には大いに励まされてきた。

リハビリ施設で長嶋に会って人生が変わったという俳優 塩見三省のエピソードが私は大好きである。リハビリをしなければならないというつらい生活の中でも,長嶋茂雄は太陽のように輝いて,人に勇気と笑顔を与えている。その事実に長嶋という人の器の大きさを感じる。

彼の訃報を聞いて涙を流している人たちがテレビで報道されている。しかし,長嶋茂雄に比べてずっと若い人たちばかりである。長嶋茂雄は享年89歳であったから,一緒に青春を過ごしたという同年代の人たちは少ないだろう。むしろ泣いているのは小さいころ長嶋茂雄に憧れていた人たちなのだと思う。彼らにとって長嶋茂雄は夢,憧れだった。長嶋茂雄の逝去は,彼らにとっては夢の喪失なのである。


#「長嶋・王の野球教室」という本も私は買ってもらったはずである。けれど全然,野球なんて練習しなかったから,いまだにゴロもフライもまともにとれない。

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