2007年10月11日木曜日

私にとっては4回目であっても

20世紀の偉大な指揮者であるフルトヴェングラーのアインザッツは,
指揮棒がブルブルと震えていたために,
楽団員に非常に緊張を与えていたのだという.
いつはじまるのか,そのタイミングが取りづらかったらしい.

だから彼の録音,たとえばベートーヴェンの第5番交響曲であっても,
その始まりは,どの録音についても印象が異なる.
演奏自体も,どの録音もかなり違うテンポで演奏されたりしていて,
そのたびにはっとさせられる.

彼は楽団員にこういっていたという.

「君たちはもう何万回と演奏した曲かもしれないが,
聴衆たちにとっては,それが初めて演奏されるように
聴こえなければならない」(詳細うろ覚え)

常に新鮮味を感じさせ,
感動を与える演奏でなければならないということだろう.

なぜこんな話をしたかというと,
本日今年で4年目となる講義の2回目があった.
最初の年の,私が持っていた一生懸命さが,
今は失われていないか,
そう不安に思ったのである.

やはり教員の熱意は学生たちにダイレクトに伝わる.
講義する内容は一緒ではあるけれど,
非言語的になにかが確実に学生たちに伝わっている.
それは熱意であったり,あるときはなまけ心かもしれない.

そうしたことを考えるとき,
私はフルトヴェングラーのこの話を思い出して,
また気合いを入れ直すのである.
私にとっては4年目の講義であっても,
学生のみなさんにとっては初めての講義なのである.
今日の講義も,この気合いが
みんなに伝わったのならば良いのだけれど.

いっそフルトヴェングラーをみならって,
一体何を話すかわからない講義にして,
学生たちの集中を促そうかな,とも考えるけれど,
そうなったら苦情・不満がでるだろうな,やっぱり.

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