2007年10月24日水曜日

学生は消費者ではない

現在,学生たちの間に蔓延している価値観が,
授業料を払っているのだから大学において
それなりのサービスが受けられる,というものである.
(卒業も当然のようにできると考えている!)

この考えはある意味正しい.
大学は教育・研究の場を提供するものであり,
授業料を払っている学生の皆さんは
それらを享受しているのだから.

しかし,大学に顧客というものがあるとすれば,
それは学生ではなく社会であるという話を
以前にもこのブログで書いたことがある.

大学は社会に対して大きな責任を
果たしていかなければならない.
この大学は多くの経営を税金によって
賄われているのだ.
授業料は全収入の1/7~1/10の程度しか
占めていないであろう.
そう考えれば,納税者である社会に対して,
大学の責務を果たすべき必要があるのは明らかだろう.

そもそも教育とはサービス業ではないと思う.
学生たちの満足度の向上のためには
もちろん十分な努力をすべきと思うが,
勉強とはもともと自発的に行うものである.
決してサービスを享受するだけの
受動的な行為ではない.

教職員と学生たちが同等に精進(あるいは切磋琢磨)をして,
作り上げていこうとするものが大学の教育ではないかと思う.

そこを理解できず,ただ教職員が提供するサービスを
受動的に受け入れていけばよいと考えている学生は,
勉強はもちろん積極的には行わないだろうし,
その他の大学における活動についても消極的となるだろう.

それでいて自分の満足度が低ければ,
サービスの提供者に平気で不平・不満をいう.
(もちろん私たちは建設的な意見に対しては,
謙虚に耳を傾けるべきだと思うけど)

自分が努力をしなければ,当然満足度が低くなるのが,
教育・勉強というものである.
努力をしないで不平不満を言うのは
そもそもが考え違いをしている.

大学に限らず,小・中・高等学校においても
クレーマとなる親,生徒が増えていると聞く.
その底辺には,自分たちが教育の場においても
消費者であるという勘違いが蔓延しているような気がする.

現代の子供たちはバブルを経験した親たちをもち,
子供の頃からお金を払えばサービスが受けられると思っている.
また,消費者が一番偉いような勘違いをしている.
この価値観を変えようとしても,
かなりその病根は深いと思われるのである.

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