学生は一体何をしに学校に来ているのだろうか,
という話題が先生方の集まりにおいて出た.
もちろん,勉強や研究を行うため,というのが
普通の回答であろう.
しかし,本当にそうだろうか?
単位を取ること(そして卒業すること)が目的で,
勉強をしに来ているのではないのではないか,
という危惧を先生方は持っていらっしゃるのである.
大学というところは,社会に出る以前に,
自分の能力を向上させるために,
実力をつけるために,
あるいはそれらのためのポテンシャルを蓄えるために,
来るところである.
しかし,現在ではただ単位を取得し,
卒業することが目的となってしまっており,
自分の実力をつけるために勉強しようという学生が
本当に少なくなっているような感じがする.
「興味がある科目は一生懸命勉強する」などと
答える学生がいるが,一つの科目でもいいから,
本当に一心不乱に勉強している学生が何人いるのだろうか.
先日のそのミーティングでも話に出たが,
一つでも一生懸命に勉強する学生は,
その周辺知識がいずれ必要となって,
結局のところ範囲をそれなりに広げて
勉強を熱心にするようになるものである.
そうした学生は良い.
問題なのは,ひとつの科目に対しても興味が持てず,
なにも努力をしない学生である.
興味が持てないというのは講義が面白くないからだ,
という批判もあるだろう.
その批判は甘んじて受けよう.
しかし,それでもである.
学生たちが真に自分の力をつける
という目的で勉強するならば,
多少講義に不満があっても,
主体的に取り組むのではないだろうか.
とにかくひとつの科目でも良い,
内容が分かり始めれば,その科目は面白くなるものである.
そうミーティングにおいて強く主張された先生が
いらっしゃって,私も全く同感であると思ったのである.
(講義への不満は直接先生に言えば良い)
結局のところ学生たちは楽がしたいだけで,
受験という目的がなくなった今では,
勉強へ駆り立てるものがなく,
自らの将来を展望することもなく
受動的に講義に来ているだけに過ぎないのだろうか?
では,出席は成績に考慮しないといったら,
学生たちは講義に来なくなるだろうか.
単位はテストで及第点さえとれば取得できるとしたら,
彼らは学校に来なくなるであろうか?
いや,そうではないだろう,と別の先生が発言された.
学生たちは,他にやることがないから大学に来るのである,
とそう喝破されていた.
ほんとに.
そうかもしれない.
彼らは学校に来なくなったとして,
その時間を有意義に過ごすことができるのだろうか.
あるいは有意義に過ごそうとする努力をするのだろうか.
それもかなり怪しい.
ただ大学に来て講義に顔を出し,
自分の横の友達の顔を見て安心する.
それでおわり.
そんな毎日だとしたら,本当にひどい大学生活だ.
あまりに受動的すぎる.
そんな受動的な4年間(あるいは6年間)が
どのような結果を生むのか,
いや現在生みつつあるのか,
そう思うと空恐ろしい気がする.
2007年10月23日火曜日
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