2007年10月12日金曜日

子供たちは全く新しい感性で生きていく

運転をしていて,空を見上げると
関西空港から飛び立った飛行機が陽を受けて光っていた.

昔の人は,こんなものが空を飛ぶなんて
思ってもいなかっただろうなぁ.
もしみたらびっくりするだろうに.

と考えていたのだけれど,
私もこれまでの人生,
いろいろなモノに驚いてきたんだと気づいた.

例えば,携帯電話,写メール,iモード.
移動電話といえば,スーツケースに入ったものか,
ホルスタータイプのものしかなかった時代を
生きてきたものにとっては,
これらのものがポケベルに代わって登場してきたときには,
本当に驚いたものである.
現在では,昔のウルトラ警備隊が持っていた通信機に
匹敵するサイズと機能を持っている.
それはそれは驚くべき変革だったのである.

飛行機に私が驚かないのは,
生まれたときにはすでに飛行機が飛んでいたからにすぎない.
今の子供たちは生まれたときから携帯電話があり,
インターネットが普及している.
それを当然のものとして受けとめ,
上手に利用している.
驚く必要がない.

技術の発展とはこんなものなのかなと思う.
昔を知っているひと世代前の人間にとっては,
そのありがたみが実感できるけれども,
次の世代の人たちには,それが当り前の技術となっている.

いつまでも飛行機に驚いているわけにはいかないけれど,
そうしてありがたみが薄れていくのはさびしい思いがする.
しかし,これが技術の宿命かとも思う.

以前,ホンダの開発した二足歩行ロボット アシモの実物を
初めて目にしたとき,私はやはりずいぶんと興奮したのだけれど,
息子は全然驚いていなかった.
彼にとってみれば,テレビに出てくるロボットはすべて
二足歩行をしているのだから驚く理由がなかったのだ.

子供たちと私の感性はずいぶん違うのだなとそのとき実感した.

0 件のコメント:

コメントを投稿

桜を見ると思い出す

桜が満開である。 研究室でも花見BBQが行われ、まさに「花より団子」 、学生はだれも桜など見ずにひたすら食べることに集中していたけれど、食べづかれた私は桜をぼんやりと見ていた。 学生の一人が 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎の文章 について話していたので、そうい...