2008年5月16日金曜日

その美しさは神の言葉にも似て

一度実演に触れてみたかった指揮者に,
ヘルベルト・フォン・カラヤンと
カルロス・クライバーの二人がいる.
どちらも残念ながら今やこの世の人ではない.

今年は,カラヤン生誕100周年ということで,
CDやDVDも記念版が多く発売されるし,
彼に関する著作も多く出版されるし,
フィルムコンサート(!)なんてものも
開催されている.

カラヤンがすごいのは,
これが作曲家ではなく,
指揮者であるということ.

作曲家であるモーツァルト生誕250周年などで
盛り上がるというのは理解できるけれど,
指揮者の記念イヤーでここまで
盛り上がるというのはすごい.
カラヤンはやはり偉大だったのか.

カラヤンといえば,アンチ・カラヤン派も多くいて,
いつも話題が尽きない人である.
私はといえば,カラヤン大好き派である.
カッコばかりで精神的に深みがかけるとか,
音楽が厚化粧のように重たいとか,
そんな悪口も言われるけれど,
彼の1960年代あたりの
ベートーベンの録音なんかを聴くと
そのカッコよさにしびれてしまう.
(ベートーベンにカッコよさを求めるのが
そもそも間違いだという人も多いけれど)

カラヤンの録音の中で私が大好きなもののひとつに,
ウィーンフィルと録音したブルックナーの
交響曲7番がある.
先日,NHK FMの番組で(カラヤンの指揮ではないけど)
この曲が流れていて,
またあのカラヤンの録音を聴きたいなと思った.

確かに晩年のカラヤンの録音は
重厚な響きとレガートの多用で,
ちょっと聴くのに疲れてしまったりするのだけれど,
ブルックナーの,特に最晩年の頃の録音は,
この世のものとは思えないほど美しく,
私は好んで聴いている.

ムーティも当時,
「彼の最近のブルックナーは神の言葉を聴くようだ」
と評したといわれるけれど,
それほどまでに美しい.
ブルックナーの曲は開始のトレモロが有名なのだけれど,
このウィーンフィルとの録音では,
それがまるで天上から光が差し込んでくるようである.

「ブルックナーの最も優美な言葉」と
この曲を評したのは朝比奈隆だけれど,
この曲の実演を私は彼の指揮で聴いたことがある.
(彼ももう鬼籍に入ってしまったけれど.
そういえば彼はカラヤンと同い年ではなかったかな)
オケは新日フィルで,朝比奈のブルックナーは
もう少しごつごつした印象を与えるけれど,
彼の評どおりの美しい演奏だった.
(その日の録音は,フォンテックから発売されている)

私はこの曲で不満なのは,第4楽章である.
どうも他の楽章に比べてこじんまりとしており,
聴いた後の満足感にかける.
それまでの楽章は最高なんだけど...

紹介したカラヤンの録音は,
彼の生前の最後のものとなっている.
彼は,死の直前までオペラ「仮面舞踏会」の
楽譜を開いていたというから,
この曲の録音時には,
たぶん自分の死期を感じていたということはないと思う.
しかしそれでも,この録音の曲の美しさは,
彼がすでに天国に近いところにいたのではないかと
想像させる.

たぶん今晩,眠る前にこのCDをプレーヤに
載せるのだろうと思う.

(今回は珍しく熱く語ってしまった...)

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