オカルト界隈でよく話題にのぼるひとつの説として、
「私たち人類は、遠い昔、超能力や霊能力のような超自然的な能力を誰もがもっていたのだけれど、文明が発達したためにそれらの能力は退化して、現代人は使えなくなった」
というものがある。
ここでいう超能力は、オカルトでいうところの超自然的な能力ということにする。一方で、原始人は現代人よりも聴力や視力、嗅覚が考えられないほどたぶん優れていたなどということで超能力と呼ぶことがあるが、それらについてはそうだろうと私も同意する。また耳を動かせる人がいるのを見ると、現代人はそうした能力が退化したのだろうと思う。
しかし、念動力やテレパシーなどの超自然的な超能力はどうだろうか。「耳を動かす能力が現代となっては不要なので退化したのだ」などという例とは違う。超能力は人類全員が普遍的に持っていた能力で、それが退化してしまったとはとても思えないのである。
考えてみればわかる。もしも超能力があったらどんなにこの世の中便利なことか。それを現代になって使わなくなったから退化したなんてありえない。もしも超能力があったのであれば、逆にどんどん洗練された使用方法が編み出されていたに違いないと思う。そうではないのは、やはり私たちはもともとそうした能力を持っていないからだ。
例えば、もしも念動力があったら、この世の中もっと便利になっているに違いない。実験や手術などで非接触で遠隔から物体を動かせたらどんなに世界が変わっていただろう。もしもテレパシーがあったら、人と人とのコミュニケーションがいまとは違う形になっていたに違いない。たぶん人に心を読まれない技術こそ発達しただろう。
ちょっと考えるだけで、そうなってはいないという矛盾がでてくる。そんな能力が誰もに普遍的にあったなどとはとても思えない。だから私は、そうした超能力が退化したわけではなく、最初から持っていなかったと思うのである。
#もしもそのような能力を使える人がいたならば、それはやはり特別な人なのだと思う
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