2007年12月7日金曜日

知識がある方が楽しめる

今朝,通勤途中に車のラジオをつけると,
ベートーベンの交響曲第9番の第3楽章が流れていた.
あぁ,もうすっかり世の中は歳末シーズンである.
(昨日は山下達郎の「クリスマス・イブ」で
クリスマスシーズンを実感していたのだけれど)

良く知られる話だけれど,
年末にこれだけ第九を演奏するのは
世界でも日本だけである.
ヨーロッパなどでは,本当に聴く機会が少ない
あるいは特別な時にしか演奏されない曲なのだという.
なぜって,合唱団も入れた大所帯で
演奏しなければならないから.

なぜ第九が年末に演奏されるようになったのかという話も有名で,
あるオーケストラ(現在のN響)が年越しのモチ代を稼ぐために,
演奏への参加人数も多く(チケットが多く売れる),
人入りが良かったこの曲を年末の題目にしたのだということである.
(確か私の記憶では,このころのN響のコンマスは黒柳徹子さんの
お父さんだったと,黒柳さんが話されていた)

以来,年末に第九を演奏するオケが多くなり,
私が東京に住んでいたころは,在京オケが十数個もあったので,
12月になると,プロ・アマ合わせて東京近郊では,
毎日のように第九がどこかで演奏されている状態であった.

規模も大きくなり,1万人の第九なんて企画ももう何年も続いている.
第九を聴くならば規模が大きい日本が一番いい,
という話もあるくらいである.

というわけで,車内で天上の音楽とも言われる
緩徐楽章に耳を澄ましていて思ったのが,
あぁ,私も楽譜が読めたらなぁ,ということである.
楽譜が読めたら,もっと面白く聴けるだろうと思う.

どこで,どんな工夫がしてあるのか,
ベートーベンの意図はどのようなものだったのか,
演奏者はなにを意図しているのか,
などがわかるようになったら,どんなに素敵だろう.

何かをより楽しむためには知識があった方がいい.
武道の演武においてもそうである.
どういう意味がその技・動作に含まれているのか,
やはりバックグラウンドとなる知識がなければ,
理解することは難しい.

研究においてもそうである.
学会の発表を聞いていても,
その発表の裏にある技術,苦労を推測できる方が,
いろいろと勉強になる.

知識が,面白さ・興味を倍増させてくれるのだ.

確かに音楽などは,細かい知識がなくても十分楽しめる.
あるいは先入観がある方がむしろ悪いということもある.
しかし,それでも本当の楽しみを知るためには,
やはり勉強が必要なのだろうと私は思う.
知識がある方が,楽しみが深みを増す.

放送されていた第九は,第4楽章で
異常な加速をして,オケもついてこれない演奏だった.
フルトベングラー・バイロイト祝祭管弦楽団による
至高の第九と呼ばれる演奏であった.

曲が終わったあと溜息をつく.
この演奏は聴くとちょっと疲れる.
私のお気に入りの演奏は,
セル・クリーブランド管の録音だったりする.

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