2007年12月27日木曜日

物語の必要性

古来の哲人たちの中には,
自ら教えを著すことなく,
弟子たちやその後の追随者がその教えを
書物に残した場合が多くある.

不完全な言葉によって教えを説いても,
誤解が広がるだけと考えたからかもしれない.

そこで弟子たちは,師の教えを物語として残した.
この点が重要なのだと思う.

人は,人の言葉だけでは理解を
共有することができない.
田口ランディさんの著書に,
「人は人とわかりあえない,ということのみ
わかりあえる」といった意味の言葉があったが,
確かにそうかもしれないと思う.
所詮,違う脳,違う感覚器,違う身体をもつ
個体なのだ.
同じ考えをもつことなどありえない.
だから言葉だけで理解を共有することは本当に難しいだろう.

それでも教えを残す必要があった.
だから弟子たちは短い言葉で伝えることをしなかった.
その教えが説かれた背景,状況などを細かく,
そして時には脚色をして物語として伝えた.
より正確に教えを伝えるために.

たとえば,もしも電気工学がシンプルな4つの方程式,
すなわちマクスウェルの方程式だけで
理解しろ,といわれたらどうだろう.
(すみません,例えがぐっと専門的な話になって)

確かにこの世界の電磁現象は,
マクスウェルの4つの方程式だけで記述できるかもしれないが,
それで終わりというわけではない.
4つの方程式は,電磁気学のいうなれば"骨"であって,
さまざまな事象に現れる"血肉"が付いているわけではない.
しかし,この血肉こそが,電磁気学を面白くし,
私たちに学問の喜びを与えるものなのである.

だから私たちは電磁現象を理解するために,
さまざまな事象についてマクスウェルの方程式を適用する.
学生たちは理解のために,適用例,例題,演習問題を必要とする.
それで,現象の複雑さ,学問の面白さを理解する.

大切な教えの理解には,物語(ストーリー)を必要とする.
そこに含まれる意味が深ければ深いほど,
そこには精密なストーリーとそのバリエーションを必要とする.
それは,哲学であっても工学であっても変わらない.

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