2007年12月26日水曜日

まるで詰将棋のように緻密な論理で

昨日,今日と2日連続で
私は朝から夕方まで研究室の学生の
研究の中間発表を聴いている.
明日は午前中で終わる予定だけれど,
一日7時間くらいヒアリングしている.

研究室の学生は30人以上いるから,
全部の学生の研究の進捗状況をヒアリングをするのは,
結構しんどいのだ.
でもみんな頑張っている.
それで私も頑張って理解しようとするのだけれど,
正直夕方になるとフラフラである.

昨日,今日の学生諸君の発表を聴いて思ったのだけれど,
どうも相手に理解してもらおう,
説得しようとする努力が足りないのではないか.
それは基本的なスキルの不足なのかもしれないけれど,
もっと本質的な心がけの問題のような気がする.

プレゼンテーションでも,会話でも,
コミュニケーションの目的は,相手に理解してもらうこと,
あるいは説得することである.
それができていなければ,
そのコミュニケーションは失敗なのである.

まず自分の考えや研究の結論を,
相手が理解してくれるように資料を準備すること.
そうした資料の準備は,ちょうどチェスか
詰将棋のようなものだと思えばいい.

条件,証拠を示しながらあるシチュエーション
あるいは結論に相手を追い込む.
そのためには,ひとつひとつ障害をクリアしていく.
まるで城の外堀,中堀,内堀と順に埋めて,
本丸を攻めるようにである.

たとえば電気関係の発表であるならば,

自分の研究の目的,その分野における位置づけ,
研究の前提となっている条件,
検討したシステム構成,回路,パラメータ条件,
そしてそれらの妥当性.
シミュレーション条件,実験条件,
その結果の妥当性と評価,考察.
そして結論(最初に結論を持ってくるのもアリである).

なぜその結論に至ったかを説明するのに,
反駁の余地もないよう,
緻密に論理を構築する.
まるでエラリー・クイーンの推理小説のように.

弱点は素直に認める.
逆に指摘されたことについて意見交換や
議論をすることによってより建設的な結論を導く.
そして最後に,将来の計画を示す.

そうしたことができれば,まずは合格であろう.

いかにロジックを組み立て,マテリアルを集めるか.

自分がわかっていても
相手がわかってくれるかどうかはわからない.
たとえ指導教員であっても,
わからないものはわからないのだ.
やはり肝心なところを省略してはならない.

自分が他人になったつもりで,
自分の説明を聴いてみよう.
それで誰かを説得できるだろうか.
なにか不足していないだろうか.
自問してみよう.
(まぁ,これができれば一人前なのだけれど)

とにかくコミュニケーションの成否は
あくまでも相手にどのような影響を与えたか
という結果によってのみ決定する.
自己満足であってはならない.

もう一度,プレゼンテーションをする
意味を考えてみてはどうだろうか.



(と小言はいっても,さすがと思わせるところも
端々にみられた.君たちのポテンシャルは感じる.
あとは各自の精進あるのみ!)

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