2008年5月15日木曜日

天災はいつやってくる

"天災は忘れた頃にやってくる"とは,
寺田寅彦の言葉とされているけれど,
最近のアジアの天災の被害の大きさは,
目を覆うばかりのものである.
決して天災は忘れた頃にやってくるばかりではない.
このように時に連続して訪れる.

この2~3年にはインドネシアの津波の被害もあったし,
ついこの前はミャンマーでサイクロンによる
大変な被害があり,現在もその救助活動は
ままならない状況である.

そして,先日起きたばかりの
中国内陸部の地震の被害も本当に甚大である.
子供たちががれきの下に埋まっている状況を
前にして親たちは何もできない.
そんな立場の人たちに私たちは
何を言ってあげられるのだろうかと思う.

研究室にも四川省からの留学生がいるのだけれど,
家族と連絡が取れるまでは,
彼女を見ていてこちらがつらくなるほどだった.
幸いにして,無事が確認できたのだけど,
ご家族は家の中に戻ることはできず,
外で夜を過ごしているのだという.

私は阪神淡路大震災を経験していないので,
被災のつらさを知っているわけではない.
郷里の新潟の大地震は生まれる前だった.
(最近は中越の大地震もあったけれど)
しかし,今,ニュース映像で
その大変な状況をみるだけで,
その中にいる方々のご苦労の一部は
容易に想像できる.

水,電気,食料,寝る場所.
こうした最低限の生活をするために必要なものが
得られないという状況.
子供たちに何もしてあげられない親の気持ち.
そうしたものがすぐに想像されて
なにか私たちにできないかと思う.

しかし,距離と国境の壁が私たちを隔てる.
ミャンマーも中国も,
人々のために国ができるすべてのことが,
すみやかに行われますように,
そして一人でも多くの方が助かるようにと
祈るだけである.

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