2024年9月21日土曜日

志賀直哉旧居にて「志賀直哉」を堪能する

 9月初旬,奈良春日野国際フォーラムで開催された国際会議のあと,奈良公園の中にある「志賀直哉旧居」を訪問することができた。昭和初期に志賀直哉自身が設計し建築した半和風・半洋風な邸宅なのだけれど,現在は奈良学園のセミナーハウスとなっている(見学可)。

志賀直哉の美的センスが感じられる美しい建物で,あちらこちらに志賀直哉自身のアイデアが実現されていて趣がある。たとえば,柱もきれいに切り出された木材を使うのではなく,いくつかの面は野性味を残したものが使われていたり,それでいて「葦」を使った天井や,竹を編んだ素材を使った天井などの洒脱なつくりになっていて,各部屋を見て回って発見するのが楽しい。

当日は,館長にご案内,解説いただいたので,それらの工夫を見逃すことなく楽しむことができた。中でも一番驚いたのは志賀直哉の設計ということなのだけれど,彼は別に建築家ではないので,デザイン通りに家を作ったら畳や襖の大きさが定形ではなくなってしまい,現地合わせでそれらが作られているということである。確かに同じ部屋でも右面と左面の襖のサイズは違っていた。こんな設計は普通許されないものだろうけれど,財力にものを言わせて成立させてしまっている。驚くというよりも呆れてしまった。

いくつも志賀直哉の心遣いが感じられて,非常にリラックスして過ごすことができる住まいなのだけれど,もっとも素晴らしいのは窓から見える若草山,三笠山などの風景である。四角い窓で切り取られた景色は,まさに絵画のように美しい(って,凡庸でダサい表現だけれど仕方がない)。二階の角部屋は左側の窓からは若草山,右側は三笠山を同時に切り取って見ることができ,まだ夏の奈良の緑を大いに楽しむことができた。志賀直哉も,若草山焼きの際などには近くに住んでいた多くの弟子を招待して,この部屋から景色を楽しんでいたとのことである。

一方,一階にある彼の書斎の机もペンが机から落ちないような工夫がされていて面白かった。彼が「暗夜行路」を書いたのはこの机かと質問したのだけれど,残念ながら執筆時は暑い季節で二階の涼しい部屋で書いていたのではないかとのことであった。

書斎の机。縁取りがされている。

ここは高畑サロンと呼ばれ多くの人が訪れたそうで,会合用の大きな洋室も準備されている。広い中庭に臨む石張りのサルーンで,大きなテーブルを照らす天井からの陽光が気持ち良い。端には3つの円を重ね合わせたような不思議な形をしている机もあって,そこに座って眺める庭の風景も心をなごませる。

不思議な机。少し気取って庭を眺めるの図。

実はこの旧居を訪ねるのは今回で3回目なのだけれど,また来たくなってしまう魅力に溢れた建物になっている。この旧居を訪れることによって志賀直哉という人の「とんがり具合」を知ることができるのが一番の魅力である。ぜひおすすめしたい。

2024年9月16日月曜日

降り積もれ孤独な死よ

 今期ずっと見ていたテレビドラマ「降り積もれ孤独な死よ」が終了した。とにかく悲惨な事件ばかりが発生し,その裏には親による虐待があって,見ていてたいへんつらい内容だったけれど,次々と違う犯人が出てきて毎回話が展開しているので,最後まで飽きることなく観た。あまり話題になっていないのは,やはりつらい事件ばかり起こるせいだろうか。個人的には素晴らしい作品だと思った。

なんといっても私は成田凌が好きで彼が出演する作品に「はずれ」がないので(岡田将生もそうだけれど),このドラマも観始めたのだけれど,やはり「あたり」だった。彼が演じるダメな男というのは,マッチョでもなく,かといってクールすぎず,色気があって不安定。これがちょうどいい。なぜか惹かれるんだなぁ。

今回の発見は,吉川愛。これまで知らなかった女優さんだけれど,今回は謎の女性を演じていて,それが良かった。この人のおかげでこのドラマは締まったような気がする。あとは久しぶりの黒木メイサ。クールな女性上司役にピッタリ。そしてもちろん小日向文世。この人は善人役と悪人役どちらも素晴らしいのだけれど,今回はブラック側の配役(本当は善人だけれど)。終わってみれば,この人の他に灰川十三役を演じることができる人が思い浮かばない。それほど適役だった。

ということで配役は素晴らしかったのだけれど,やはり脚本が良かった。飽きることなく毎回,次回が見たくなるように物語が書かれている。オリジナルの漫画とは異なっているとのことだけれど,これはこれで成立している。きれいに物語が終結した(このことについては思うところがある。またいつか書きたい)。

テーマは重かったけれど,良いドラマだった。私の心が少し変わった気がするのは,その証拠なのだと思う。

2024年9月15日日曜日

スーツケースを新調する。スーツケースは軽さが正義

 新しいスーツケースを買った。

先週の土日に奈良で開催された国際会議の帰り道,歩道を引くスーツケースのキャスターがどうもこうも重くなった。引きずって歩くのがつらい。仕方がないので片手でスーツケースを少し持ち上げながら歩いていたけれど,30度を越える気温の中,10 kgを越えるスーツケースを右手で抱えるのは非常に酷だった。

「もういい!」とさすがに声をあげて,長岡への帰り道,途中でスーツケースを新調することに決めた。とりあえず大阪に行く!と決めて,なんとかJR奈良駅まで歩いて大和路快速に乗った。

まぁ,このスーツケースは10年以上は余裕で使ってきたし,ずいぶんと前からキャスターはボロボロでいつもロックがかかっているようだったし,内張の布もはがれ始めていた。それでもかなり高価だったので,大事に使ってきたのである。

スーツケースは,サムソナイトのコスモライトシリーズのもの。このモデルが発売されたときには,本当に驚いた。いままでと全く異なる次元の軽さ,ポリカーボネートのようなプラスチックの丈夫なボディ,そしてスタイリッシュなデザイン。購入した時には,周りに自慢して歩きたいくらいだった(実際はしていない)。

大阪についてショッピングビルのサムソナイトの販売場所に行き,スーツケースを新調したい旨を伝える。すると女性店員さんが,私のスーツケースに驚いていた。「これって,コスモライトの初期のモデルですよね」「そうなんです。とうとうキャスターがどうにもこうにもならなくなって...」

新調するスーツケースは,後継モデルであるシーライト。私が使ってきたものよりも少し大きなサイズになっている。私が使ってきたモデルで不満であった,(1) シングルハンドル,(2) シングルキャスターはそれぞれダブルに改善されていて,より扱いやすく,よりスムースになっている。(3) ケーストップにもハンドルがついたし,そしてなにより,(4) 相変わらず軽い!そうスーツケースにおいては,とにかく「軽さが正義」なのである。店員さんも「私もふたつスーツケース持っているのですけど,どちらもシーライトなんですよ。一度使うと他のケースは重過ぎて...」と話していた。

新しいスーツケースにその場で荷物を入れ替えて,古いケースの処分をお願いする。ケースを渡そうとすると,「写真はいいですか?」と言われた。そういえば,このケースとはいくつの国を一緒に回っただろうか?そう思うと急に愛着が湧いてきた。スマホで写真を撮って,ケースにさよならをした。少し寂しさもあるけれど,新しいケースとの新しい門出がうれしい。今度予定している海外旅行でも不安なく活躍してくれるだろう。

これから何年この新しいスーツケースと一緒に旅をするのだろう。長く付き合えるGearであって欲しい。

10年以上お世話になったスーツケース


#昨年,キャスターが壊れたスーツケースとは違うものです

2024年9月14日土曜日

最短距離ばかりを選んでいるといつか行き詰まる

 世の中,「効率化」が進みすぎて「この先,これで大丈夫か?」と思うことが多くなった。学生のみなさんの行動を見ると,コスパ,タイパばかり気にして,常に「最短距離」,「最小労力」で目的を達しようとしている。

それはある意味正しくて,正義である。特に私のような工学者は,より効率的に,より短時間に,より低コストで,ということを目的として研究をしている。そして工学の分野だけでなく,世の中全般にそうした目的は「正義」である。予算だって,労働力だって,無駄を省くことが仕事においては第一義的に正しいとされている。

しかし,「教育」,「学習」という面では,「最短距離」,「最小労力」がいつも正しいとは限らない。「最短ではない」,「最小ではない」というやり方,道すじでしか学習できないことが多くあるのだと思っている。一般的に「失敗」と呼ばれる経験であっても,そこから学ぶことがあり,それが次に活かされれば,それは無駄ではなくなる。逆に,そうした失敗をしなければどこでその知見を手に入れるのだろう。

学生は幼いころから,テストのために短時間で正解にたどり着く方法だけを効率的学ぶようにトレーニングされている。そうした教育の弊害なのだろう。

昔は本を読むだけでは本当の知識は得られないと言われた。知識だけだと「畳水練」だと笑われたものである。しかし,今はその本を読む時間,労力さえも惜しまれる。ネットなどで「最適なやり方」だけを学ぶだけである。それは本当に身銭を切って他に入れた技術と言えるのだろうか。

小説や映画だってそうである。時短動画やあらすじ動画を見て理解した気になる人がいるらしい。しかし,小説や映画の本当の面白さはメインの物語だけではない。各登場人物の描写,しぐさに人の心の機微が現れている。その機微を見逃しておいて,この作品は面白かったなどというのは違うのではないかと思う。作品の情緒・雰囲気は言葉と言葉の行間に漂っている。それをタイパよく感じることはできない。

もちろん学生の研究でもそうである。自分でいろいろ試し,苦労するからこそ,知識が定着し,スキルを身に着けることができる。そのうえ,他人が示す最短距離ばかりを進んでいて,どうやって新しいアイデアを生み出そうというのか。

「最短距離」,「最小労力」がいつも正しいとは限らない。遠回りすることによってはじめて気づくこともある。みんなわかっていることだけれど,今は社会がそれを許さない。若い人たちはどうなっていくのだろう。

2024年9月1日日曜日

怖い絵本

 「怪談えほん」シリーズ(岩崎書店)というものがある。私はもともと絵本が好きだから,最初にこのシリーズを図書館で見つけたときは,たいへん素晴らしい!と喜んだものである。なぜって,子供の頃にこうした恐怖を体験するのは実は非常に大切で,この世界には「恐ろしいもの」「悪いもの」「悪意があるもの」「わからないもの」が存在することを理解することができるから。

監修は怪談のアンソロジストとして有名な東雅夫,そして作者(画家も含めて)には,宮部みゆき,恩田陸,京極夏彦,小野不由美,佐野史郎,伊藤潤二など超一流が担当している。たぶん各作者は腕によりをかけて「怖い絵本」の競作となるだろう。これがワクワクしないでいられようか。

刊行が始まった2011年から案の定たいへんな話題になって,現在では第3期まで全部で13作出ているらしい。私はどれも読んでみたいと思っているけれど,そのうちの数作しか読んでいない。しかし,このシリーズは,NHKのETVで「怖い絵本」として不定期にドラマ化されていて,それを見るのが楽しみになっている。NHKのドラマは10分ほどなのだけれど,怪談同様のうまい語り口で絵本がアニメとなって語られる素敵なドラマである。ドラマの方はすでに20作以上つくられているから,ドラマ化されているのは「怪談えほん」シリーズだけではないのだろう。

まず絵本のアニメ化が素晴らしい。原作の絵が動いているように作られていて,それが世界観を壊さずに怖さだけが増幅されている。そして,ドラマパートも素晴らしい。主人公(絵本のパートの朗読)は,だいたい若手の俳優さんたちであり,こちらも作家と同様に各人で演技を競っているように思える。このドラマパートの演出も凝った作りになっていて,見ていて感心することが多い。

このドラマを一緒に見ている親子は幸せだなと思う。ちょっと怖いという体験を一緒にできることは,親子の絆をたぶん強くしているのだろうから。こうした優れたコンテンツがもっとみんなに知られればよいのになぁと切に思う。

志賀直哉旧居にて「志賀直哉」を堪能する

 9月初旬,奈良春日野国際フォーラムで開催された国際会議のあと,奈良公園の中にある「 志賀直哉旧居 」を訪問することができた。昭和初期に志賀直哉自身が設計し建築した半和風・半洋風な邸宅なのだけれど,現在は奈良学園のセミナーハウスとなっている(見学可)。 志賀直哉の美的センスが感じ...