2024年9月29日日曜日

イコライザー THE FINAL

 イコライザーシリーズ最終作「イコライザー THE FINAL」を観た。前2作に感じられたデンゼル・ワシントン演じる主人公マッコールの不気味さ,怖さは薄らいで,「よい爺さん」という雰囲気になっていた。

相手がイタリアシチリアのマフィアということもあって,展開が予想できあまりヒリヒリした感じはなかった。

またデンゼル・ワシントン自身も,たぶんこの映画を撮影していたころは66,67歳くらいなので,この好々爺を演じるのにちょうどよく,「ザ・ウォーカー」みたいなアクションはない。

ただシチリアの街並みはきれいだし,展開が予想されるということが逆に安心感を与えて,これが最終作になるのだという納得感はあった。

私の評価は星3つ。★★★☆☆

2024年9月28日土曜日

宝蔵院胤栄の摩利支天石

 奈良を訪れた際に夕方の散歩の途中,なにかいわくのありそうな石を見つけた。碑に「宝蔵院胤栄守り本尊 摩利支天石」とある。早速調べてみると,宝蔵院流槍術の創始者 胤栄が守り本尊摩利支天として祀った石であるとのことだった。

私は「おー,宝蔵院胤栄ゆかりの石なのか」と感慨深かったのだけれど,一緒にいた学生はあまりピンとこなかったようだった。

たしかに,「宝蔵院流槍術」といっても現在ではあまり知られていないかもしれない。十文字鎌槍とかいっても,最近ではほとんど見ることがない。以前は宮本武蔵のドラマなどがあると胤栄ではなく日観や胤舜との絡みがあって,そこで知る機会があったりしたのだけれど(私もそうだった),最近ではめっきり知名度が低くなっている。

胤栄は猿沢の池に映った三日月をみて,十文字鎌槍を編み出したと言われる。槍といえば宝蔵院といわれるまで有名だったらしい。吉川英治の宮本武蔵の中では,日観という老僧が武蔵の殺気に応じて殺気を返したために武蔵がそれを感じて飛びのいたという話が出てくる。市川海老蔵が主役だった宮本武蔵では,たぶん長門勇が日観で得意の槍術を披露していた。役所広司版だと誰が日観を演じていたのだっけ,覚えがない。魔界転生の中では,転生した化け物の一人が宝蔵院胤舜だった(沢田研二の映画では,室田日出夫が演じていた。槍で立ち回りをするのだけれど,早々に柳生十兵衛に切られてしまうのだけれど...)

今は宮本武蔵のドラマなどないから,そんな僧が修練した槍術があったなんて知らない人が多くなったのだろう。しかし,私はこの石をみて久しぶりに宮本武蔵の小説・ドラマを思い出し,なんとも言えない感慨に浸ったのである。

宝蔵院の摩利支天石。なぜこの石を祀ったのかは説明がなかった。


2024年9月23日月曜日

Shrink ー精神科医ヨワイー

 人に薦められて,NHKのテレビドラマ「Shrink ー精神科医ヨワイー」を観た。たいへん印象に残る良い作品だった。薦められたのが最終回の再放送のタイミングだったので,この作品の前2回を観ることはできなかった。しかし,第3話(最終回)を観ただけでも,「良いなぁ」と思う作品だった。

中村倫也演じる精神科医弱井と土屋太鳳演じるその看護婦が精神科に訪れた人たちに対応していくドラマ。第3回目は「境界性パーソナリティ症」の女性の話だった。女性は決して特別な人ではなく,私たちの日常の中でよく見かける性格の人である。パーソナリティ症のために自分を肯定できずいつも他人を振り回してしまい,周囲から人がいなくなってしまうことに悩んでいる。この女性を演じるのが白石聖。最近こうした難しい役を演じるのがめっきりうまくなった女優さんだと思っているのだけど,今回もどん底から少しずつ前向きになっていく過程をうまく演じられていて素晴らしかった(以前から応援しているのだ。「恐怖新聞」,「ガールガンレディ」という特殊な作品も主演している)。また彼女を支え,しかし共依存になっている男友達を細田佳央太が演じていてこれもまた良かった。細田佳央太は若いけれど実力ある俳優だ。期待している。

ということで女性が病院を訪れ,認知行動療法などで前向きになっていく過程が丁寧に描かれていてたいへん好感が持てた。もちろん,精神科医を演じる中村倫也は適役で,素晴らしかった。

そしてなにより素晴らしいのはこの作品自体が,患者にやさしく寄り添うように作られていることである。調べてみると,漫画が原作であるらしい。原作者はよほど取材をきっちりされたのだろうと思う。

こうした患者で大変なのは,まず「病院に連れていくことが難しい」ということである。日本では精神科に行くことにかなり偏見があって,「自分は病気ではない」「自分は大丈夫」といって拒否する人が多い。あるいは「元気がなくていけない」「怖くて行けない」という人も多い。このハードルが非常に高い。

次に「精神科医,カウンセラーの個人差が大きい」という問題がある。たとえ医師免許を持っていても,あるいは臨床心理士などの資格をもっていたとしても,その技量の差は大きいと感じる。また患者との相性があるため,「あわない」場合にはすぐに患者が拒否し始めてしまうのだ。

私はカウンセリングを受けることに(金銭的な問題と要する時間の問題を除いて)全く抵抗がなく,これまでに複数のカウンセラーに何度もカウンセリングを受けてきた。私自身は幸いまだ病気にはなっていないけれど,彼らと話すことで問題は整理されるし(特に問題がなくともカウンセリングは有益だし),話すこと自体が楽しい。またそのテクニックも勉強になる。私の場合,運が良かったためか,ほとんどのカウンセラーは良い人が多かったと思うけれど,複数の人の話を聞いているとみんながみんなそうでもないことに気づく。良い医師やカウンセラーにめぐりあうことは,その人の将来を決める大きな要因なのだと私は思っているけれど,現状では運でしかない。もちろん評判を調べるのは大切だけれど。

このShrinkという作品を観て,ひとりでも多くの人が病院やカウンセリングに相談に行くようになることを願っている。この作品にはそうした人たちの背中をそっと押すようなやさしさがあった。モチベーションを与えるというだけでもこの作品は意味が大きい。少しでも偏見が減って相談にいくことへのハードルが下がると良いと思う。


#アメリカでは,できる人はカウンセリングを受けるものなのだ。マフィアのボスでさえ精神分析医に相談に行く。そんなコメディ映画もあるくらいだ。「Analyze Me!」マフィアのボスをロバート・デニーロが演じている

2024年9月22日日曜日

伏線が回収された物語のきれいな結末。しかしそれがベストなのか。

 今期は「降り積もれ孤独な死よ」というテレビドラマが面白かった。いろいろな謎が次々と提示され,新しい事実が明らかになって物語が進んでいく。謎が謎を呼び,展開も加速する。そしてそれらの謎を回収していく最終回。そしてみんなが言う。「きれいな結末だった」と。

しかし,どうだろう。物語は謎と伏線を回収して,きれいな着地点に降りることがそんなに重要なのだろうか。

この「降り積もれー」も最初は謎がどんどん増えていき,物語を広げていく展開だったから,話の広がりに私はワクワクしていた。事件とその背景はますます複雑化していき,「この先,いったいどうなっていくのだろう?」と思いながら見ていた。物語のスケールの大きさを感じながら毎週毎週ドラマを見ていた。

しかし,最終話に近づくにつれ,話はこれまでの謎と伏線の回収に終始する。それはある程度仕方ないのだけれど,物語のスケールが急にシュリンクし始める。謎は明らかになっていき,話の結末に収束していく。しかし,それとともに物語のスケールは小さくなり急に魅力が半減していった感じは否めない。仕方ないけど私は強く残念に感じるのである。

今年観た映画「デッドデッドデーモンズ デデデデ デストラクション」にも似たような感想を持った。前章では,そのスケールの大きさに衝撃を受け,この先どうなってしまうのだろう?という気持ちでシーズンエンドを迎えた。後章は,伏線が回収されきれいな結末だったのだけれど,前章で感じたワクワク感は明らかにシュリンクしていた。

謎と伏線は,そこまで解明されて回収されなければならないのだろうか?たぶん現在は,謎をそのまま残して物語を終了するとあちらこちらから批判される世の中なのだろうと推測するのだけれど,それによって作品のキラキラ感,ワクワク感,そしてスケール感が損なわれるのはたいへんにもったいないと思う。

謎は謎のまま残されたっていいじゃないか。そんな作品,昔からいっぱいある。「結局あれってどういう意味だったのだろう?」「あれは誰が行ったのだろう?」などと疑問を抱えたまま物語がエンディングを迎えたっていいんじゃないだろうか。魅力を維持して終わる方がずっと良いのではないか。

ディビッド・リンチだって,村上春樹だって,作品の中で謎がすべて解明されたわけではないじゃない。スタンリー・キューブリックの「シャイニング」だって,リドリー・スコットの「ブレードランナー」だって謎が残されたからこそ今だって議論が絶えないのだ。そんな終わり方だって全然いいじゃないか。

「降り積もれー」も「デデデデ」も美しいエンディングを迎えたけれど,そうでなくたって良かったと思う。謎は謎のまま残し,世界の不確定性を示して終わったってよいじゃないか。世の中の「伏線回収」への圧力に負けず,そうした魅力的な作品が今後増えればよいと切に思うのである。

2024年9月21日土曜日

志賀直哉旧居にて「志賀直哉」を堪能する

 9月初旬,奈良春日野国際フォーラムで開催された国際会議のあと,奈良公園の中にある「志賀直哉旧居」を訪問することができた。昭和初期に志賀直哉自身が設計し建築した半和風・半洋風な邸宅なのだけれど,現在は奈良学園のセミナーハウスとなっている(見学可)。

志賀直哉の美的センスが感じられる美しい建物で,あちらこちらに志賀直哉自身のアイデアが実現されていて趣がある。たとえば,柱もきれいに切り出された木材を使うのではなく,いくつかの面は野性味を残したものが使われていたり,それでいて「葦」を使った天井や,竹を編んだ素材を使った天井などの洒脱なつくりになっていて,各部屋を見て回って発見するのが楽しい。

当日は,館長にご案内,解説いただいたので,それらの工夫を見逃すことなく楽しむことができた。中でも一番驚いたのは志賀直哉の設計ということなのだけれど,彼は別に建築家ではないので,デザイン通りに家を作ったら畳や襖の大きさが定形ではなくなってしまい,現地合わせでそれらが作られているということである。確かに同じ部屋でも右面と左面の襖のサイズは違っていた。こんな設計は普通許されないものだろうけれど,財力にものを言わせて成立させてしまっている。驚くというよりも呆れてしまった。

いくつも志賀直哉の心遣いが感じられて,非常にリラックスして過ごすことができる住まいなのだけれど,もっとも素晴らしいのは窓から見える若草山,三笠山などの風景である。四角い窓で切り取られた景色は,まさに絵画のように美しい(って,凡庸でダサい表現だけれど仕方がない)。二階の角部屋は左側の窓からは若草山,右側は三笠山を同時に切り取って見ることができ,まだ夏の奈良の緑を大いに楽しむことができた。志賀直哉も,若草山焼きの際などには近くに住んでいた多くの弟子を招待して,この部屋から景色を楽しんでいたとのことである。

一方,一階にある彼の書斎の机もペンが机から落ちないような工夫がされていて面白かった。彼が「暗夜行路」を書いたのはこの机かと質問したのだけれど,残念ながら執筆時は暑い季節で二階の涼しい部屋で書いていたのではないかとのことであった。

書斎の机。縁取りがされている。

ここは高畑サロンと呼ばれ多くの人が訪れたそうで,会合用の大きな洋室も準備されている。広い中庭に臨む石張りのサルーンで,大きなテーブルを照らす天井からの陽光が気持ち良い。端には3つの円を重ね合わせたような不思議な形をしている机もあって,そこに座って眺める庭の風景も心をなごませる。

不思議な机。少し気取って庭を眺めるの図。

実はこの旧居を訪ねるのは今回で3回目なのだけれど,また来たくなってしまう魅力に溢れた建物になっている。この旧居を訪れることによって志賀直哉という人の「とんがり具合」を知ることができるのが一番の魅力である。ぜひおすすめしたい。

2024年9月16日月曜日

降り積もれ孤独な死よ

 今期ずっと見ていたテレビドラマ「降り積もれ孤独な死よ」が終了した。とにかく悲惨な事件ばかりが発生し,その裏には親による虐待があって,見ていてたいへんつらい内容だったけれど,次々と違う犯人が出てきて毎回話が展開しているので,最後まで飽きることなく観た。あまり話題になっていないのは,やはりつらい事件ばかり起こるせいだろうか。個人的には素晴らしい作品だと思った。

なんといっても私は成田凌が好きで彼が出演する作品に「はずれ」がないので(岡田将生もそうだけれど),このドラマも観始めたのだけれど,やはり「あたり」だった。彼が演じるダメな男というのは,マッチョでもなく,かといってクールすぎず,色気があって不安定。これがちょうどいい。なぜか惹かれるんだなぁ。

今回の発見は,吉川愛。これまで知らなかった女優さんだけれど,今回は謎の女性を演じていて,それが良かった。この人のおかげでこのドラマは締まったような気がする。あとは久しぶりの黒木メイサ。クールな女性上司役にピッタリ。そしてもちろん小日向文世。この人は善人役と悪人役どちらも素晴らしいのだけれど,今回はブラック側の配役(本当は善人だけれど)。終わってみれば,この人の他に灰川十三役を演じることができる人が思い浮かばない。それほど適役だった。

ということで配役は素晴らしかったのだけれど,やはり脚本が良かった。飽きることなく毎回,次回が見たくなるように物語が書かれている。オリジナルの漫画とは異なっているとのことだけれど,これはこれで成立している。きれいに物語が終結した(このことについては思うところがある。またいつか書きたい)。

テーマは重かったけれど,良いドラマだった。私の心が少し変わった気がするのは,その証拠なのだと思う。

2024年9月15日日曜日

スーツケースを新調する。スーツケースは軽さが正義

 新しいスーツケースを買った。

先週の土日に奈良で開催された国際会議の帰り道,歩道を引くスーツケースのキャスターがどうもこうも重くなった。引きずって歩くのがつらい。仕方がないので片手でスーツケースを少し持ち上げながら歩いていたけれど,30度を越える気温の中,10 kgを越えるスーツケースを右手で抱えるのは非常に酷だった。

「もういい!」とさすがに声をあげて,長岡への帰り道,途中でスーツケースを新調することに決めた。とりあえず大阪に行く!と決めて,なんとかJR奈良駅まで歩いて大和路快速に乗った。

まぁ,このスーツケースは10年以上は余裕で使ってきたし,ずいぶんと前からキャスターはボロボロでいつもロックがかかっているようだったし,内張の布もはがれ始めていた。それでもかなり高価だったので,大事に使ってきたのである。

スーツケースは,サムソナイトのコスモライトシリーズのもの。このモデルが発売されたときには,本当に驚いた。いままでと全く異なる次元の軽さ,ポリカーボネートのようなプラスチックの丈夫なボディ,そしてスタイリッシュなデザイン。購入した時には,周りに自慢して歩きたいくらいだった(実際はしていない)。

大阪についてショッピングビルのサムソナイトの販売場所に行き,スーツケースを新調したい旨を伝える。すると女性店員さんが,私のスーツケースに驚いていた。「これって,コスモライトの初期のモデルですよね」「そうなんです。とうとうキャスターがどうにもこうにもならなくなって...」

新調するスーツケースは,後継モデルであるシーライト。私が使ってきたものよりも少し大きなサイズになっている。私が使ってきたモデルで不満であった,(1) シングルハンドル,(2) シングルキャスターはそれぞれダブルに改善されていて,より扱いやすく,よりスムースになっている。(3) ケーストップにもハンドルがついたし,そしてなにより,(4) 相変わらず軽い!そうスーツケースにおいては,とにかく「軽さが正義」なのである。店員さんも「私もふたつスーツケース持っているのですけど,どちらもシーライトなんですよ。一度使うと他のケースは重過ぎて...」と話していた。

新しいスーツケースにその場で荷物を入れ替えて,古いケースの処分をお願いする。ケースを渡そうとすると,「写真はいいですか?」と言われた。そういえば,このケースとはいくつの国を一緒に回っただろうか?そう思うと急に愛着が湧いてきた。スマホで写真を撮って,ケースにさよならをした。少し寂しさもあるけれど,新しいケースとの新しい門出がうれしい。今度予定している海外旅行でも不安なく活躍してくれるだろう。

これから何年この新しいスーツケースと一緒に旅をするのだろう。長く付き合えるGearであって欲しい。

10年以上お世話になったスーツケース


#昨年,キャスターが壊れたスーツケースとは違うものです

2024年9月14日土曜日

最短距離ばかりを選んでいるといつか行き詰まる

 世の中,「効率化」が進みすぎて「この先,これで大丈夫か?」と思うことが多くなった。学生のみなさんの行動を見ると,コスパ,タイパばかり気にして,常に「最短距離」,「最小労力」で目的を達しようとしている。

それはある意味正しくて,正義である。特に私のような工学者は,より効率的に,より短時間に,より低コストで,ということを目的として研究をしている。そして工学の分野だけでなく,世の中全般にそうした目的は「正義」である。予算だって,労働力だって,無駄を省くことが仕事においては第一義的に正しいとされている。

しかし,「教育」,「学習」という面では,「最短距離」,「最小労力」がいつも正しいとは限らない。「最短ではない」,「最小ではない」というやり方,道すじでしか学習できないことが多くあるのだと思っている。一般的に「失敗」と呼ばれる経験であっても,そこから学ぶことがあり,それが次に活かされれば,それは無駄ではなくなる。逆に,そうした失敗をしなければどこでその知見を手に入れるのだろう。

学生は幼いころから,テストのために短時間で正解にたどり着く方法だけを効率的学ぶようにトレーニングされている。そうした教育の弊害なのだろう。

昔は本を読むだけでは本当の知識は得られないと言われた。知識だけだと「畳水練」だと笑われたものである。しかし,今はその本を読む時間,労力さえも惜しまれる。ネットなどで「最適なやり方」だけを学ぶだけである。それは本当に身銭を切って手に入れた技術と言えるのだろうか。

小説や映画だってそうである。時短動画やあらすじ動画を見て理解した気になる人がいるらしい。しかし,小説や映画の本当の面白さはメインの物語だけではない。各登場人物の描写,しぐさに人の心の機微が現れている。その機微を見逃しておいて,この作品は面白かったなどというのは違うのではないかと思う。作品の情緒・雰囲気は言葉と言葉の行間に漂っている。それをタイパよく感じることはできない。

もちろん学生の研究でもそうである。自分でいろいろ試し,苦労するからこそ,知識が定着し,スキルを身に着けることができる。そのうえ,他人が示す最短距離ばかりを進んでいて,どうやって新しいアイデアを生み出そうというのか。

「最短距離」,「最小労力」がいつも正しいとは限らない。遠回りすることによってはじめて気づくこともある。みんなわかっていることだけれど,今は社会がそれを許さない。若い人たちはどうなっていくのだろう。

2024年9月1日日曜日

怖い絵本

 「怪談えほん」シリーズ(岩崎書店)というものがある。私はもともと絵本が好きだから,最初にこのシリーズを図書館で見つけたときは,たいへん素晴らしい!と喜んだものである。なぜって,子供の頃にこうした恐怖を体験するのは実は非常に大切で,この世界には「恐ろしいもの」「悪いもの」「悪意があるもの」「わからないもの」が存在することを理解することができるから。

監修は怪談のアンソロジストとして有名な東雅夫,そして作者(画家も含めて)には,宮部みゆき,恩田陸,京極夏彦,小野不由美,佐野史郎,伊藤潤二など超一流が担当している。たぶん各作者は腕によりをかけて「怖い絵本」の競作となるだろう。これがワクワクしないでいられようか。

刊行が始まった2011年から案の定たいへんな話題になって,現在では第3期まで全部で13作出ているらしい。私はどれも読んでみたいと思っているけれど,そのうちの数作しか読んでいない。しかし,このシリーズは,NHKのETVで「怖い絵本」として不定期にドラマ化されていて,それを見るのが楽しみになっている。NHKのドラマは10分ほどなのだけれど,怪談同様のうまい語り口で絵本がアニメとなって語られる素敵なドラマである。ドラマの方はすでに20作以上つくられているから,ドラマ化されているのは「怪談えほん」シリーズだけではないのだろう。

まず絵本のアニメ化が素晴らしい。原作の絵が動いているように作られていて,それが世界観を壊さずに怖さだけが増幅されている。そして,ドラマパートも素晴らしい。主人公(絵本のパートの朗読)は,だいたい若手の俳優さんたちであり,こちらも作家と同様に各人で演技を競っているように思える。このドラマパートの演出も凝った作りになっていて,見ていて感心することが多い。

このドラマを一緒に見ている親子は幸せだなと思う。ちょっと怖いという体験を一緒にできることは,親子の絆をたぶん強くしているのだろうから。こうした優れたコンテンツがもっとみんなに知られればよいのになぁと切に思う。

アイアンマン2

 「アイアンマン」を観た あとに 「アイアンマン2」(2010年) を観た。「アイアンマン」がヒット作となり,続編が作られた。だいたい続編というのは面白さがいくぶん減るのだけれど,この続編は1作目に負けないくらい面白かった。 敵役を演じるのがなんといってもミッキー・ロークなのであ...