2007年7月24日火曜日

「学生時代,勉強しなかった」はもう通用しない

大学での試験期間が始まった.
試験勉強で寝不足な学生たちが朝から登校してくる.
なかなか元気な姿の学生は見かけない.
しかし,これが終われば夏休みなのだ.
あと少しじゃないか.
努力を怠らず,やっていこう!

私も大学時代試験期間は,
もちろん単位取得にやっきになっていた.
いま思うと懐かしい.
幾晩も一夜漬けを繰り返し...

という感じで,だいたい私くらいから上の年代の人は,
大学時代にどれだけ勉強しなかったかを自慢したがる傾向がある.
(そうでなくて,必死に勉強したという人もいるにはいるけれど,
数はずいぶん少ないような気がする)

バイトや部活で大学の講義に出ていなかったとか,
一夜漬けで試験をやり過ごしてきただとか,
そんな話を自慢げに話してしまう.

しかし,現在においてはそんな話は成り立たない.
今の世の中,とにかく勉強した者勝ちである.
基礎学力の低下,就職後の現場の厳しさ,
社会的状況の先行き不安.
こうした中で大学時代に自分の力を蓄えずに,
いつ蓄えるというのだろう.

働いてから勉強することがどれだけ大変なことか.
みな働いてから勉強するのだから
今勉強しなくてもいい,などとはとてもいえない.
つらくても働きながら勉強していける人だけが,
現場で活躍しつづけるのである.
その助走として大学時代の教養・研究は非常に大切なのだ.

数年前,電力関係の企業の重要な地位にある方の講演を聴いた.
やはり,

「私は学生時代,全然勉強しなかった.
今の会社に入ったのも,
指導教授が『君の顔は電力むきだ』と言われたからだ」

などという話を学生にされていた.
現在の成功も,それが一因となっているという感じで話されており,
正直呆れてしまった.
一体,この企業には危機感があるのだろうか.
弱電の企業の重役でそんな話を学生に向けてする人はいない.
私たちのバブルのころならばともかく,
現在のこの厳しい状況でそんなことをいう余裕などないのだ.

大学ではとにかく基礎学力を身につけてほしい.
そう企業は願っているはずである.
研究だってそうである.
大学時代と同じテーマの研究を
企業においても継続する人は少ないだろうが,
卒業研究を通して,研究の勘どころを身につけるということを
企業は期待しているのである.

大学に入れば遊べる,楽できる,
そんな時代はもう何十年も昔の話であると認識すべきである.
大学では,よりハードに,より深く学問をする.
どれだけ遊んだかではなく,どれだけ教養を身につけたかを競う.
ようやく,そういう当たり前の時代になったのである.

大学時代はサナギの時期である.
栄養を蓄え,社会に出て蝶の羽を広げる.
羽の大きさ,美しさは,
どれだけ大学で基礎学力を身につけたかによる.

0 件のコメント:

コメントを投稿

言葉が世界を単純化することの副作用

 人間がこれだけの文明を持つに至った理由のひとつは「言葉」を用いることであることは間違いないと思う。「言葉」があれば正確なコミュニケーションができるし、それを表す文字があれば知識を記録として残すことも可能である。また言葉を使えば現実世界には存在しない抽象的な概念(たとえば「民主主...