懇和会の総会,パーティーであった.
同じ電気系に属しているとはいえ,
日頃はあまり話し合うことがない人たちと
種々な会話を楽しむことができ,
有意義であった.
お腹一杯食べたし,
それなりに飲んだことだし.
(今日は,結構ウィスキーのロックを飲んだ)
帰宅してテレビを珍しくつけてみると,
韓国のアーチェリーの名人が紹介されていた.
その名人は,的に既にささった一本の矢にむけて
新たに矢を放ち,それを寸分もたがわず
最初の矢尻に当てたのである.
その技量に感嘆したが,
この映像で2つの話を思い出した.
ひとつは,中島敦の「名人伝」,
もうひとつは,オリゲン・ヘイゲルの「日本の弓術」である.
「名人伝」に描かれる弓術の名人も
的に向かって次々と矢を放つと,
その矢が前に放たれた矢尻を捕らえるために,
全ての矢が地に着くことはないというほどの腕をもっていた.
しかし,それで主人公は満足することはなく,
さらなる仙人のような名人を師として,
ついには弓矢を持たずにモノを射る技術である,
「不射の射」を会得するのである.
しかし,名人となった主人公は,
弓術から離れて暮らすようになり,
最後には弓矢という道具を認識することが
できないほどの境地に達する.
これをHappy Endとすべきか,
(老荘思想における真人の境地と捉えれば)
皮肉な結果とすべきか,
(いくぶん滑稽な結末と捉えれば)
それを判断するのは読者に委ねられるのだけれど,
中島敦の簡潔な漢文風の名文によって綴られたこの物語は,
私の心に強い印象を残している.
本当の名人の境地とは一体どのようなものなのだろうか?
もうひとつ思い出した話である「日本の弓術」についても,
実は語りたいことはいくつかあるのだけれど,
それはまた稿を改めてお話したい.
中島敦で私の好きな作品は,実は孔子と子路の関係を描いた
「弟子」なのであるけれど,これもまたいつか機会を改めて.
#作品名「名人伝」を「名人記」と誤記していましたので,
修正しました.「山月記」と混同しました...
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