とにかく12月8日はジョン・レノンの殺害された日だった.
(もちろん真珠湾攻撃の日でもあるけど)
それは1980年というから,私はまだ中学1年生で,
洋楽もほとんど聴かない頃だった.
しかし,ビートルズの名前くらいは知っていたから,
彼の射殺のニュースは確かに印象に残っている.
高校生になって,誰もがそうであるように,
通過儀礼のようにビートルズの洗礼を受け,
ジョン・レノンの作品にもふれるようになって,
あぁ,こういう人だったのだと,
ずいぶんあとになって
その人の大きさを知ったのだった.
ジョン・レノンの話で好きだったのは,
彼が音楽活動をしばらく休止していた時に,
息子のショーンが友達の家で
"イエロー・サブマリン"を見てきて,
ジョン・レノンに,
「パパは本当にビートルズだったの?」と
尋ねたというもの.
それをきっかけに音楽活動を再開した,
という話だったのだけれど,
残念ながらこれは本当ではないらしい.
でも,そんな話を信じてしまうような
ジョン・レノンの人柄だったのだろうと思う.
彼の残したメッセージは,
今も宝石のように光っている.
彼が殺されたのは40歳だった.
私は,最近誕生日を迎えて41歳となった.
彼に比べ,私はこれまで何をしてきたのだろう.
そう思ってしまう.
そして,41歳と言えば,バカボンのパパである.
「41歳の春だから~♪」
ついつい口ずさんでしまう(笑).
そしてバカボンのパパが叫ぶ.
「これでいいのだ!」
達観である.素晴らしい.
私はとてもこのような
言葉を語ることはできない.
こんな41歳の私は,今後何ができるのだろう.
やっぱり,この時期,少し焦りを感じるのである.
こんばんは、お久しぶりです。
返信削除バカボンのパパのように生きれたらいいですね。
しばらく前に、赤塚富士夫の生涯をTVで見て感動しました。(ま、感動というにはおこがましいですが)
mochaさん,お久しぶりです.
返信削除バカボンのパパの境地は,そびえたつヒマラヤの山脈のように,遠く遠く感じます.
赤塚不二夫は,郷里の新潟出身ということで(満州生まれですが),親近感を持ちます.あのTV番組見逃しました.残念です...