2008年12月9日火曜日

ジョンレノンと,バカボンのパパと

昨日というか,現地時間で今日というか,
とにかく12月8日はジョン・レノンの殺害された日だった.
(もちろん真珠湾攻撃の日でもあるけど)

それは1980年というから,私はまだ中学1年生で,
洋楽もほとんど聴かない頃だった.
しかし,ビートルズの名前くらいは知っていたから,
彼の射殺のニュースは確かに印象に残っている.

高校生になって,誰もがそうであるように,
通過儀礼のようにビートルズの洗礼を受け,
ジョン・レノンの作品にもふれるようになって,
あぁ,こういう人だったのだと,
ずいぶんあとになって
その人の大きさを知ったのだった.

ジョン・レノンの話で好きだったのは,
彼が音楽活動をしばらく休止していた時に,
息子のショーンが友達の家で
"イエロー・サブマリン"を見てきて,
ジョン・レノンに,
「パパは本当にビートルズだったの?」と
尋ねたというもの.
それをきっかけに音楽活動を再開した,
という話だったのだけれど,
残念ながらこれは本当ではないらしい.

でも,そんな話を信じてしまうような
ジョン・レノンの人柄だったのだろうと思う.
彼の残したメッセージは,
今も宝石のように光っている.

彼が殺されたのは40歳だった.
私は,最近誕生日を迎えて41歳となった.
彼に比べ,私はこれまで何をしてきたのだろう.
そう思ってしまう.

そして,41歳と言えば,バカボンのパパである.

「41歳の春だから~♪」

ついつい口ずさんでしまう(笑).
そしてバカボンのパパが叫ぶ.

「これでいいのだ!」

達観である.素晴らしい.
私はとてもこのような
言葉を語ることはできない.

こんな41歳の私は,今後何ができるのだろう.
やっぱり,この時期,少し焦りを感じるのである.

2 件のコメント:

  1. こんばんは、お久しぶりです。

    バカボンのパパのように生きれたらいいですね。

    しばらく前に、赤塚富士夫の生涯をTVで見て感動しました。(ま、感動というにはおこがましいですが)

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  2. mochaさん,お久しぶりです.

    バカボンのパパの境地は,そびえたつヒマラヤの山脈のように,遠く遠く感じます.

    赤塚不二夫は,郷里の新潟出身ということで(満州生まれですが),親近感を持ちます.あのTV番組見逃しました.残念です...

    返信削除

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