良い文献というのは,なかなかお目にかかれない.
多くの書物が,その武道修行者が
その内部から武道を論じたものになっており,
外部の人にわかりやすく,
しかしその深奥なる核心を
説明できているものとなると,
私も不勉強のためか,数が少ないように感じる.
だからいまだに「猫の妙術」などが
もてはやされるのだろうと思う.
数少ない,そうした書物のひとつに
「日本の弓術」(オイゲン・ヘリゲル,岩波文庫)が
挙げられると思う.
昨日,韓国のアーチェリーの名人が紹介された
テレビ番組を見て思い出した.
この本はドイツから来日したひとりの哲学者の視点から,
彼が学んだ日本の弓術についての経験談である.
彼は東北大学で講師として招かれたが,
日本の文化に触れるということで,
自分は弓術を,奥さんは生け花を学んだらしい.
西洋の哲学者らしく,
弓術を論理的に理解しようと努力するが,
弓術の師範からは納得できる説明が得られない.
彼はフラストレーションがたまっていく.
その頃の経験を書物に表しているのだけど,
西洋的な合理主義と東洋的な神秘主義が
ぶつかりあっていて,大変面白い.
彼が就いた弓術の師範は,
近代の弓聖と呼ばれた阿波研造という人である.
ヘリゲルが論理的な説明を求めるのに対し,
自分と的が一体になれば,的を狙わなくても矢が当たる,とか,
意識的に矢を放つのではなく,そのときは自然に訪れるとか,
そんな話を師範はする.
それが全然ヘリゲルは理解できない.
結局,ヘリゲルは行き詰って,もうどうにもならないと
師範に弱音を吐いた.
すると師範は悲しそうな顔をして,
晩に自宅の道場に来るように言う.
ヘリゲルが夜分に道場を訪れると,
真っ暗な道場において,
師範は的の前に蚊取線香をただひとつ点け,
それに向かって2本の矢を静かに放った.
ヘリゲルが的を確かめてみると,
最初の一本は確かに的の真ん中を射抜いており,
次の矢は一本目の筈にあたって,
矢を引き裂いていたのだという.
これを見たヘリゲルは深く感銘を受けて,
その後精進し,帰国する時には
五段を授かったというお話.
このエピソードは大変印象的で,
武道とはなんたるかの一面を表していると思う.
弓術というのは,相手がいなくて
自分自身と向き合うことができる
素晴らしい武術であると思う.
ただ,学生の弓道部などで,
いたずらに矢声を張り上げているのを見ると,
その素晴らしさが本当に伝わっているのか,
かなり不安になるのだけど.
#大変薄い本ですが,ご一読をお勧めします.
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