2009年7月14日火曜日

「大工と鬼六」と「トム・ティット・トッド」

先日,各地で似たような怪談,都市伝説が
採取されるという話で思い出したのだけれど,
昔話・伝承が世界で共通するということもある.

例えば,白鳥は,人の最期に関連した
イメージをもつというのは,
日本武尊の話で日本人にはなじみであるけれど,
西洋の方でもイソップ物語に,白鳥は最期の時に
もっとも美しい声で鳴くとあるように,
死に際に関連したイメージは共通であるようだ.
(最後に作曲した曲,歌った曲などを
「スワン・ソング」などと呼ぶ)
どうも東南アジアの方でも鳥と死後の世界というのは
強い関連があるらしく,この辺りは
人類共通のイメージなのかもしれない.

一方,そうとばかりは言えないこともある.
「大工と鬼六」という昔話をご存じだろうか.

大工の代わりに鬼が流れの急な川に橋をかける.
その代償として,大工の目玉を要求する.
しかし,鬼の名前を当てたら許してやるという条件を与える.
とうとう橋はかけられて大工は逃げ出す.
そして逃げた先の森で,子供(鬼の子供?)の不思議な唄が
聞こえてきて,そこで「鬼六」という名前を知る,という話である.

実はこの話は西洋の「トム・ティット・トッド」にそっくりである.
この話は,子鬼が王妃のかわりに一か月の間に,
王様に要求された大量の糸巻をするが,
その代わり王妃を妻にしようとする.
やはり,名前を当てたら許してやるという条件は同じで,
王様が森の中で,子鬼が歌っている唄(名前が含まれている)を
耳にして,その話を王妃にしたことによって,
王妃は救われるというお話.

その他にも同型の話がいくつか
ヨーロッパで採取されているらしい.
最初知った時には,これはすごいことだと思った.
遠く離れた日本とヨーロッパで,
こんなにも似たような話が見つかるなんて.
これはやはり人間には元型というものがあるのだろうか,
なんて,少し思ったりした.

しかし,よくよく調べてみると,
「大工と鬼六」というのはある作家が書いた物語であり,
どうもその作家は西洋の昔話を参考にしたらしいのである.
下敷きになったのは,北欧に伝わる同型の話らしく,
直接「トム・ティット・トッド」ではないのだけれど,
その話を読んだ作家が翻案して書いたということらしい.
それが柳田国男の本に紹介されて,
あっというまに日本国中に広まったのである.

この真相を知ったとき,少しがっかりしたけれど,
人間はそうそう単純じゃないよなぁ,と少しホッともした.

こうした他の話を翻案することは,
昔話の分野ではよくあることらしい.
「手なし娘」も同様に,日本とヨーロッパで
似たような話があるけれど,
これもヨーロッパの話が書きなおされたということらしい.
それはそれで面白いなぁと思う.
イソップ物語だって,どれだけ昔から
日本に紹介されているだろうか?
そしてそれが日本に根付いたというところに
人類共通の特性があるのだと思う.

やっぱり面白いなぁ.
いつかゆっくり考えてみたいなぁ,と
老後の楽しみにとっておくのである.


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