2009年7月22日水曜日

日蝕で太陽電池発電量は減少するか

目が痛い.
どうも日蝕を肉眼で見ていたために,
ちょっと痛めたらしい.

残念ながら今日は曇り空で,
日蝕観察には不向きな天気だったけれど,
その代わり,雲を通して欠けた太陽を
肉眼で見ることができた.

しかし,いくら雲を通して光は散乱されると
いっても,やはり太陽光線は強かったらしい.
目は確かにダメージを受けている.
今もディスプレイを見ていると,涙目になってくる.
どうも晴れた日にスキーをしたときになる
「雪目」の症状に近い気がする.
(今日は私と似たような症状の人,
日本中にいるかもしれませんね)

ところで,今日は,松山南高校のみなさんが見学にいらした.
せっかく日蝕の日の見学なのだから,ということで,
私の属する伊瀬研究室で行っている太陽光発電の研究と,
尾崎研究室の有機薄膜タイプの太陽光発電用結晶の研究を
ご紹介するというツアーが組まれたのである.

私は,太陽電池から出てくる電力は,
お天気任せの不安定な直流で,
それを交流にしなければ家庭で使用できない.
だから交流を直流に変換する半導体電力変換装置,
すなわちパワーエレクトロニクスの話をした.
また変動する電力を電池やキャパシタなどの電力貯蔵装置を
使用することによって安定して供給できるというお話をした.

どうかなぁ.
わかっていただけたかなぁ...ちょっと不安.
しかし,松山南高校のみなさんは
積極的に質問をされていて,
素晴らしいと思いました.
いいなぁ,そういうクラスの雰囲気は大切だと思います.

今日がもし晴れていたならば,太陽電池の発電電力量が,
日蝕とともに減少するようなデータが取得できたはずなのだけれど,
残念...朝からずっと曇っていたので,
晴れの日,2.5kW程度発電できるパネルからは,
200~400W程度の電力しかとれませんでした.

もうこんな機会は当分ないのだろうなぁ.
太陽電池のデータの取得については残念だったけれど,
とりあえず欠けた太陽は見ることができた.
(ピークの11:00頃は太陽が見える2Fの
渡り廊下に人が一杯でていた)

古代のロマンに思いを馳せる,といっていたけれど,
古代の人は,もしかすると曇っていたので
日蝕には気付かなかったかもしれないなぁ.
少なくとも私が古代に生きていたら,
ぼんやりと一日を過ごしていたに違いない.

2 件のコメント:

  1. 日食から太陽電池の発電量を連想するところがさすがだと思います。日食は本当に一時の現象ですので、発電量が低下してもあまり問題ないでしょうが、その前後に人々がヒートアップするので、その熱量の方が多いかもしれませんね。

    日食ご覧になれて何より。目は大切にしてください。

    私は、10時半ごろに、仕事で叱られて、その後、罪悪感にさいなまれながら外に出たら曇っていて見れませんでした。そのあと、見た!という人がいました。残念。

    返信削除
  2. Asanoさん,コメント有難うございました.飯能遅くなり,すみません.

    おっしゃる通り,人のヒートアップで消費するエネルギーの方が,日食によるPVの発電減少量よりも大きいのかもしれませんね.私もずいぶんはしゃいでいましたし.

    Asanoさんもまた元気を出してくださいませ.一度陰った太陽もすぐにまた力を取り戻しましたし.
    日蝕を見るのは,26年後の楽しみといたしましょう.

    返信削除

桜を見ると思い出す

桜が満開である。 研究室でも花見BBQが行われ、まさに「花より団子」 、学生はだれも桜など見ずにひたすら食べることに集中していたけれど、食べづかれた私は桜をぼんやりと見ていた。 学生の一人が 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎の文章 を話していたので、そういえばそ...