2009年7月30日木曜日

江戸時代の夜に見えるもの,聞こえるもの

夜,帰宅時に中央環状線を車で走っていると,
もちろん道の両脇には町が広がっているのだけれど,
池田を抜けると遠くの方に家の明かりが
集まっているのが見える.
そして黒い山影があって,その輪郭がぼんやりと
光って見える.
その向こうにも町があるのだ.

こうしてふと周りを見まわしてみると,
当然のことなのだけれど,
光と音であふれている.
現代の私たちの生活には,
どこかに必ず人工的な光と音がある.

では江戸時代はどうだったのだろうと考える.
夜は提灯や行燈のほのかな明かりしかなかったろうから,
ずいぶんと暗かったに違いない.
一体なにが見えていたのだろうか.
そして音に至っては,自動車の走る音なんて
どこにも聞こえないだろうから,
ずいぶんと遠くの音も耳にできたに違いない.

夜の暗さは,生命の根源的な恐怖をもたらす.
特に新月の夜などの恐ろしさを考えると,
いったいどのように過ごしていたのだろうかと
不思議に思うくらいである.

山の方から,なにかしらの動物の声が聞こえ,
川があれば,重い流れの音が聞こえる.
人もいまよりもずっとまばらにしか
住んでいなかっただろうから,
他人の生活も遠くに感じられたに違いない.

そのような世界がどのようなものだったろう.
すでに私たちはそれらをうまく想像できないように
なってしまった.
もしも人里離れた山奥に住めば,
そして電気もガスも使わない生活をおくれば,
そうした生活を体験できるのかもしれない.
けれど,そうなったとしても,
この山の向こうには人家の煌々とした明かりがあり,
電化された便利な暮らしがあることをすでに
知っているがために,どこかに安心感があるだろう.
その頼るところもなかった時代の人々の心の中が,
いったいどのようなものであったか,
大変に興味があるのである.

村上春樹の小説に,
以前は,世界の闇と心の闇はつながっていた,
というようなことが書いてあったと思うのだけれど,
そんな時代の人々の心は,もう2度と
経験できないものなのかもしれない.

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