2009年7月23日木曜日

空白の必要性

最近の私の文章を読んでみると,
ずいぶんとひどいものになっている.
まぁ,もともとひどいのだけれど,
いつもに増して内容に飛躍があったり,
使っている言葉がヘンだったりする.

昨日も高校生の見学の案内をしていて
思ったのだけれど,考えたことが
すらすらと話せない.
結局のところ,最近,脳が疲れていたのだろう.
なにか飽和してしまった感がある.
健全な思考には,脳に空白が必要なのである.

なにかを受け入れるためには,
まずはその器を空にしなければならない.

中村天風先生がインドにおいて,
聖人カリアッパ師について修行を始めた時に,
水で一杯に満たした器をもってこさせ,
そこに湯をそそげと言った.
天風先生が,それでは湯がこぼれる,と言ったら,
カリアッパ師は,それをもって天風先生の
考え方を改めさせた.
すなわち,先入観や自分勝手な考え方を捨てない限り,
師の教えを受け入れることができない.
まずは,それを捨てなさい.ということである.

私が思うに,先入観でなくとも,
思考が健全に働くためには,
空白が必要なのである.

ではどのように空白を作るのか.

まずはゆっくり寝ることだ.
ゆっくり眠ることによって,
脳のどこかで発生している
いくつかの無限ループを終了させなければならない.

ということで,今日は早めに帰宅して,
ゆっくりと睡眠をとろうと思う.

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