2009年7月13日月曜日

「これが最後だ」と思うことの弊害

昨日はとうとう仕事ができず,
今日から涙目で締切が近い仕事をしている(涙).
こうなってくると,自然焦ってきて
眉間にしわが寄ってくる.
精神的に余裕が無くなってくる.
これではいかんと,気づくたびに心を落ち着かせるのだけれど,
またいつのまにか肩に力が入っている状態に.
なんとまぁ,自分の心の修行の至らなさよ...

眉間にしわが寄っている状態は,実は
無意識に自分のパフォーマンスを制限しているのだ.
それは,精神的にも(頭脳も),身体的にも.
だから常に心を静かに,「慈眼温容」でいなければならない.
眉と眉の間は穏やかにしていよう.
顔の表情をコントロールすることによって,
精神状態を変えることも可能なのである.
仁王はいつまでたっても門番ということなのだ.

身体だけではない.
ちょっとした思考が人間のパフォーマンスに
影響を与える,ということに気づく人は意外に少ない.

たとえば「時間が足りない」と思えば,心が焦り
ひどいときには精神が集中できなくなって,
全然実力を発揮できない,なんてことがよくあるので,
それが悪いことだと思う人は多いことだろう.

しかし,「これが最後だ」と思うのはどうだろうか.
「これが最後」と思うことで,むしろパフォーマンスが
あがると思っている人が多いのではないだろうか.
実は,逆のことが多いのである.
特にトップアスリートの世界では,リラックスしているときが
もっとも能力を発揮できるように訓練されているから,
少しでもこのような特別な思いは負の効果を与えるのだ.

このことを思うと,カルガリーオリンピックでの
スピードスケート選手 黒岩彰選手について思いだす.
彼はこのオリンピックを最後とする決意で競技に臨み,
500メートルで銅メダルを獲得したのだけれど,
そのときの解説者は
「彼が「これが最後だ」と思ったばかりに銅になった」と
大変悔しがっていた.
そのころはまだまだメンタルコントロールの理解が不十分で,
「これが最後だ」と思うことが良いという根性論が
根強かったのだろうか.
黒岩選手のようなトップアスリートでも,
そうした思念にとらわれてパフォーマンスを落としてしまうのである.

省みて,こうして忙しく仕事をこなしていても,
平常と変わらないように作業を進めるのが
もっともパフォーマンスを上げる秘訣なのだろうと思う.
締切はあるけれど,それで焦ることは,
ますます状況を悪くするのである.
平然と事に当たる.
これを学ぶために武道を稽古しているのだけれど,
未熟を恥じることしきりである.


この歌を忘れずに,いつも涼しい目元でいたいものである.

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