2025年8月31日日曜日

舟を編む ~現代における「言葉」の意味をあらためて考えた~

 あちらこちらで良作と話題になっていた「舟を編む」の地上波放送がとうとう終わってしまった。私もこれは毎週見逃すことができなかったドラマとなっていた。

衛星放送で以前に放映されたものを再編集して地上波放送したらしい。たぶんそれなりに多くの場面がカットされていたと思われる。途中,松田龍平なんて一場面しか出演していなかったけれど,もしかするとBS版ではもっと活躍していたのかもしれない。そう思うと,BS版もぜひ観てみたいと思う。

「舟を編む」は10年以上前に本屋大賞(だった?)を受賞していて,当時も「辞書編纂」というテーマが話題になっていたのをよく覚えている。だから,私もいつか手に取って読みたいと思っていた作品なのである。

しかし,本とは設定が違っているらしい。ドラマでは主人公は池田エライザ演じる辞書編集部に配属されてきた女性社員となっているが,原作では野田洋次郎演じていた先輩編集部員,馬締が主人公だったらしい。さらに新型コロナウィルスの感染の影響が描かれているなど,話題はアップデートされているらしいのだけれど,それらには全然不自然さを感じずに楽しむことができた。

このドラマをみて,「言葉」がもつ力について少しまた考えてみた。残念ながら人間は言葉を通じて話し合わなければお互いの意思疎通が基本的にできない。だからこそ,もう少し言葉の遣い方について気をつけたらよいのだろうとか,SNSでテキスト偏重のコミュニケーションが多くなってきたからこそ,正確に思いを伝えるための言葉選びが大切なだろうとか,この年齢になってもいろいろと考えてしまった。その意味でも素敵なドラマだった。

ところで,最近,Tverで池田エライザと田口トモロヲの「名建築で昼食を~大阪編~」が再アップされていて,全話見直してあらためて彼女の魅力を認識した。以前から注目していたけれど,俳優や歌手だけでなく,映画監督の分野でも彼女の才能を発揮しはじめているらしい。まだ20代とのこと,今後の活躍にたいへん期待している。

#彼女は左利きのようだ。「舟を編む」,「名建築で昼食を」を見ていて気付いた。

2025年8月30日土曜日

キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド

 電気学会産業応用部門大会の開催地,徳島への飛行機の往復移動の機内で久しぶりに映画を観た。

「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」(2025)

相変わらず座席の前の小さなディスプレイで観るおかげで,マーベル系のアクション映画の迫力はほとんど感じることができない。どうもアクション映画は私の評価においてかなり損をしている。

今回のキャプテン・アメリカはスティーブではなく,その名称を引き継いだサム・ウィルソンであり,血清を打った「超人」ではなく「常人」であることがひとつのキーになっている。化け物たちと戦う普通の人間としての苦悩が(少し)描かれている。もちろん,ハリウッド映画なので,彼はヒーローとして描かれるのは間違いないのだけれど。

そして見どころは,やっぱりハリソン・フォード演じる大統領ロスである。彼が出てくるだけで画面に重みが感じられるようになる。ハリソン・フォードの「格」というものなのだろう。人間性というのはどうしてもにじみ出てくるものらしい。

この作品の前にどんな話があったのか,ロスがハルクに対して何をしてのか,など情報が無いままの視聴であったので,感動の度合いが小さくなってしまったのかもしれないが,前代のキャプテン・アメリカや,曲者のアイアンマンの人物造形の深さに比べて,第2次アベンジャーズの面々はどうしても脇役的な軽さを感じてしまう。この先,マーベルシリーズはこのまま続いていくのだろうか?

ということで,今回の評価は★★★☆☆(星三つ。満点は五つ)。

#最近,全然映画館に足を運んでいない

2025年8月24日日曜日

長野への旅(6)~戸隠神社・奥社・九頭龍社~

 中社から30分ほどあるいて,奥社参道の入り口にたどり着く。トイレでペットボトルに水を汲んで外に出て参道で泥にまみれた靴を何度も洗う。参道に入る前からもう泣きそうであった。

さて,奥社参道の入り口には駐車場があって戸隠そばが食べられる蕎麦屋なども並んでいるのだけれど,かなりの人で混雑していた。蕎麦屋になんてとても入れるような雰囲気ではなかった。それでも当日朝食は民宿でたっぷりといただいていたので,腹もそれほど減っておらず,奥社に向かって参道を歩きだした。

奥社への参道はおよそ2km。ゆるやかな上り坂である。やはり前日の雨の影響でところどころで足元が滑る。ただ,大きな杉が続くこの並木は有名らしく,木陰の中を歩いていくのは気持ちがよかった。ただし,人が多くて参道には人の列がずっと続いていたけれど。。。

途中,参道の道の半ばくらいに赤い門がある。その姿をみてやっと自分は以前にここに来たことがあるのではないかと思い出した。そう,大学1年の夏,合氣道部の合宿で戸隠に来ていて,合宿の中日のハイキングで戸隠神社を訪れたのだった。あのときも天気が悪く,雨で道が川となっていて,スニーカーが水没して汚れたのを思い出した。40年ほど前と同じだ。そして,この赤い門の前で撮った写真があったのを思い出した。私がここに来たのは初めてなんてではなく,39年ぶりだったのだ。

戸隠神社奥社参道途中の門。神社内で最も古い建物だという。

その後また15分歩いて,ようやく奥社に続く階段の登り口に到着。ここまで奥社の参道入り口からおよそ30分かかった。奥社は階段の上にあるのだけれど,階段の上まで人の列が続いていて,遅々として進まない。結局,またそこから1時間かけてようやく奥社の神前に着いた。

奥社の祭神は「天手力雄命(あめのたたぢからおのみこと)」で,あの天岩戸を開けて天照大神を洞窟の中から出した神である。その岩の一部が飛んできて戸隠山になったという伝説があるそうである。ようやく手をあわせて,その隣にある「九頭龍社」へと移動する。こちらはなんとほとんど人が並んでいなかった。

戸隠神社奥社

九頭龍社

実は今回私が戸隠神社に来ようと思ったのは,この九頭龍社にぜひ参拝したいと思ったからである。祭神は九頭龍大神。奥社の創建は一説によれば紀元前200年以上らしいのだけれど,この九頭龍社はさらにその創建は古く,どうも修験道の人たちが関わっているとのことである。

一時期,一部で龍神ブームがあったけれど(知らない人も多いけど),その龍神信仰において最古の神社といえば戸隠神社なのである。ご利益は雨ごいの他に,なぜか縁結び,歯痛らしい。ありがたく手をあわせた。正直,クタクタだったので,さらにお守りを買うのに並ぶのはさすがにあきらめて参道をもとに戻る。中社まで歩いてまた一時間。。。とにかく疲れた。

そこから一般道で長岡まで帰って疲労は確かにひどかったけれど,今回はじめての一人旅,善光寺,長野県立美術館,野沢温泉,戸隠神社をまわって本当に満足した。やはり非日常に身を置けるのである。忙しくする必要はない,今回のような余裕あるスケジュールで時間をつぶす。こんな素敵な時間はこの年齢になるとなかなかない。近いうちにまた計画しよう。

#これにて長野の旅シリーズは終了です

2025年8月23日土曜日

長野への旅(5)~戸隠神社・中社~

 戸隠神社に参拝に行こうと思いついたのは,野沢温泉に泊まり外湯に入っていた時である。ふと「戸隠神社」というロードサインを途中で見かけたことを思い出して,そうそう遠くないのだと気づいた。車ならば結構近いのではないか,と思い,調べてみると1時間ちょっとのドライブだったので,雨も当日上がるとの予報だったし,足を伸ばしてみることにした。

朝10時前に野沢温泉を出発し,戸隠神社の中社の駐車場に11時過ぎに到着する。前日の雨も予報通りあがって日差しが強く,とにかく蒸し暑かった。

中社の祭神は「天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)」。知恵の神様ということで,心からお参りする。境内にはご神木の巨木もあって森の中の社という印象で素敵な場所だった。

中社の鳥居

社につづく階段

中社

次に奥社に向かう。奥社参道入り口はおよそ2kmくらい離れたところにあるので,森の中の連絡道を歩いていった。かつての参道や通り道であり,途中女人禁制であったころの名残の伝説が残った石などを横に見ながら奥社に向かう。ただし,雨が降った翌日というのがまずかった。あちらこちらが泥でぬかるんでいて,私の革のスニーカーはべったりで泥で汚れ,ペットボトルの水で洗い流すなどの応急処置が必要になったほどだった。森の中の連絡道ではなく,整備された車道を歩くべきだったと何度も何度も後悔した。

#中社の駐車場は無料であるが,奥社のものは有料である

長野への旅(4)~野沢温泉外湯めぐりのはずだったけれど~

野沢温泉村の楽しみは,なんといっても温泉である。野沢温泉には無料で入ることができる(少々の寄付はあるけれど)外湯が13か所あり,その中の数か所を巡ることがこの旅の目的の一つであった。

実は野沢温泉には学生時代,たびたびスキーで訪れていたのでそうした情報を知っていたのである(まぁ,情報は三十数年前の古いままだけれど)。私の学生時代,毎年新年最初に研究室で集まるのが,指導教員の嶋田先生の定宿である野沢温泉の,とある民宿ということになっていた。もちろん研究ではなく,スキー目的に集まるのである。そこで研究室のみんなに「新年おめでとうございます」と挨拶し,初すべりに出かける。当時はスキーブームで本当に楽しかった。

野菜たっぷりとハンバーグメインの夕食を食べ終わったあと,当日長野市を歩き回っていた私は疲れ切っていたのだけれど,せっかくなので外湯に出かけることにした。まずは「大湯」。浴槽は「あつ湯」と「ぬる湯」の2つに分かれていて,ぬるい浴槽の方を試す。「じゃぶっ」と手を入れて,温度を確かめてみるととにかく熱い。「どこがぬるいんじゃ」と小言を言いながら,とても浴槽に入る勇気はない。浴槽についている冷水の蛇口をひねって浴槽をぬるめる。もしも地元の人がいたらとても水を入れる勇気はないけれど,幸いにして明らかに旅行できているどこかのサークルの男の子たちが4~5名いただけだったので,こっそりと水を入れたのだった。

なんとか蛇口の周りがぬるくなってきて私が入ることができるようになり,私もようやくお湯に入ることができた。それでも身体中がジンジン痛みを感じるほどの熱さだった。一体,どんな人間が「あつ湯」の浴槽に入ることができるのだろう???

大湯を出て,雨の中を身体を冷やしながら夜の温泉街を歩く。学生時代の研究室の定宿もまだ健在であることを散歩中に確認した。なんだかうれしかった。

少しだけ身体が冷えてきたので,次の「松葉の湯」に向かう。実際には最初の大湯で身体が十分あたたまり,次の湯に行く必要はないかも,とも思っていたのだけれど,野沢温泉まで来て温泉1か所とはもったいないと思い,少し無理して「松葉の湯」に行ったのである。

松葉の湯も空いていた。湯温も大湯に比べて少し低かったので,こちらではゆっくりと浴槽に入ってのんびりすることができた(それでも十分に熱いお湯だが)。ここにきてようやく温泉を満喫という感じ。松葉の湯に無理して来て良かった。

その後,宿にもどって布団に入る。近頃では珍しいほどリラックスして寝ることができた。本当は夜に,持参した本をゆっくりと時間をかけて読もうと思っていたのだけれど,疲れがそれを許さなかった。日付が変わらないうちに眠りに落ち,7時間以上一度も起きることなく眠ることができた。これは夜中に目が覚めやすく,朝早く目がさめてしまいがちな老人にとってはかなりうれしいことなのである。

翌朝,たっぷりと朝食をいただき,コーヒーまでいただいて,チェックアウトの10時近くまで落ち着いた朝を過ごすことができた。疲れもとれて,2日目の目的地,戸隠神社に向かった。

2025年8月16日土曜日

長野への旅(3)~野沢温泉の民宿への道に迷う~

 長野への一人旅。長野市で県立美術館を観たあと,当日の宿を予約しておいた野沢温泉に移動する。長野市中心部から1時間ちょっとの道のり。長野市街以外は道路は空いていて,カーナビの予定通りに野沢温泉に着く。

ただ,野沢温泉街の道がとにかく狭い。私のカローラがギリギリ通れるかどうかという道ばかり。当然すれ違うこともできない。そして,それも急坂。エンジンに負担がかかる道だ。両脇は温泉の排水なのか側溝に水が流れていて,いつタイヤを落としてしまうかハラハラする。

目当ての民宿も全然見つからない。民宿に電話をかけて訊くのだけれど,今,どの道を進んでいるのか見当もつかない。結局民宿の人が道路まで出てきてくださって,誘導してくれた。私の顔も知らず,どんな車に乗っているかも伝えなかったにも関わらず,一発で私を見つけてくださった。よほど私は不安そうに運転席に乗っていたのだろう。

夕食の時間に間に合って,食堂へ。夕食を予約していたのは私だけだったようで,食堂には私の食事だけが用意されてた。たいへんおいしそうなサラダが並んでいる。疲れ切った私の身体が強く欲する。しかし,とにかくまずはビールを頼んだ。

至福の夕食。サラダとビールと魚のホイル焼き

至福の一杯のあと,ゆっくりと1時間ほどかけて地元の野菜をつかった美味しい食事をいただく。リンゴのコンポートとバニラアイスのデザートまで出していただいて大満足。もしも食事を予約していなかったら,疲れ切った私が野沢温泉街を夕食を食べる場所を探してさまよう羽目になっていただろうから,本当に予約しておいてよかった。次回は,宿おススメのワインを飲みながらしみじみ食べたい(今回はビールを一本で終わってしまったけれど)。


2025年8月15日金曜日

長野への旅(2)~長野県立美術館~

 この夏休み,長野にひとり旅をした。朝に長岡を車で出発して,高速道路を使わずに長野市まで行く。所要時間はおよそ3時間。幸い天気は雨が少々,ほとんど曇りでドライブは快適だった。

長野ではまず善光寺に参拝した。海外の人も多かったけれど,東京や京都,高山ほどではない。長野駅から善光寺までの参道をゆっくりと歩き(とにかく暑かったけれど),道沿いの店々を覗きながら歩くのは楽しいものである。

善光寺で参拝した後(本堂内,山門内,資料館など入場料を支払えば参観できるけれど,人が多くて行かなかった),今回の長野におけるメインの目的,長野県立美術館に行く。

長野県立美術館はその建物が美しく,それだけで観る価値があり,すでに私も訪れていたのだけれど,今回は展示も観ようと思い,再度訪れたのである。

長野県立美術館(NAM)

まず企画展を観た。「NAMコレクション2025 第Ⅱ期」という展示で,チケットを購入し案内されるままに会場に足を踏み入れたのだけれど,そこで言葉通り言葉を失うほど,本当に驚いた。なぜならばそこには,マルセル・デュシャンの「Fountain」が展示されていたからである。

マルセル・デュシャンの"Fountain"

度肝を抜かれるとはまさにこのことだった。教科書にも載っているような現代美術の超有名な作品がこんな長野の美術館にあるなんて!確認のために何度も作品の周りをぐるぐるとまわった。

Wikipediaで調べてみると,さすがにデュシャン自身が作ったものではなく,デュシャン研究家の人が作った複製品8点のうちのひとつらしい。 京都国立近代美術館所蔵となっている。

しかし,本当に驚いたなぁ。ただ,この作品の歴史的な意味を知っているからこそ感動したのであって,正直作品自体に心が震えるというものではなかった。やっぱり便器にサインをしただけのものである。現代美術ってやはりわからない。。。

その他,常設展では長野ゆかりの芸術家の作品が展示されていて,ゆっくりとした時間を過ごすことができた。

さて,この美術館は2館に分かれた建物構成になっていて,もう一つは「東山魁夷館」となっている。こちらの展示も観覧した。

東山魁夷といえばあの美しい青緑色の森林と白い馬のモチーフが印象的であるけれど,それは50代を越えた頃からの作風で会って,この展示では20代の若い頃の作品も展示されていた。ただ,正直にいうと若いころの作品にはあまり心を惹かれなかった。それよりもやはり森林や山にかかる雲などを描いた,年齢を経てからの作品が興味深く,特に唐招提寺の襖絵は彼が自然を見てどのように感じたのかが直接わかるような美しさと壮大さがあふれていて,観ているだけで私も自然に対峙しているような感覚になった。

また同じように印象的だったのは,彼が雑誌「新潮」で担当していた表紙の作品たちである。雑誌の表紙だけに簡素なモチーフの組み合わせで目を引くように構成される作品のデザイン性が素晴らしく(私が言うことではないが)風景画の画家だと思っていた東山魁夷の洒脱なセンスにあらためて感じ入った。

今回の長野県立美術館への訪問は,たいへんな驚きと面白さを感じることができる実りあるものであった。展示物を調べていったわけではなかっただけに,心から驚いた。こうした楽しみが地方の美術館巡りにはあって,ついつい旅行先で美術館には足を運んでしまう。

#旅の情報

長野市は道が狭く,渋滞ばかり。時間に余裕をもっていった方が良い。駐車場は長野駅東口から出て,10分くらい歩いた場所に安いところが多くあり,500円/日くらいで駐車できる。

長野駅から善光寺までは参道を通っておよそ30分くらい要する。

2025年8月14日木曜日

長野への旅(1)~生まれて初めての一人旅~

 この夏休みに旅行にひとり出かけた。たぶん,たぶんだけれど,仕事関係ではなく,私が私のためにお金を払って一泊旅行をしたのは生まれて初めてではないかと思う。地方に行くのはほとんどが出張であり,いろいろな場所に旅行はしたけれど,また家族旅行はあったけれど,自分ひとりのために計画を立てて旅行をしたのは初めてである。

私には夢がない,と常々思っていたのだけれど,Youtuberの旅行動画を見ているうちに,私も旅をしてみよう,と思い立ったのである。とはいえ,そう思ったのはお盆期間のちょっと前。空いている旅館も少なく,宿泊代も相当お高い。それでもなんとかビジネスホテルではないところに泊まりたくて,また一泊で行けるところを探して,結局落ち着いた旅行プランが,

「長野市 善光寺・県立美術館」→「野沢温泉」(宿泊)→「戸隠神社」

である。野沢温泉での宿泊先は民宿で,夕食,朝食をつけてもらった。出張では朝食をつけることがほとんどなく素泊まりばかりなのだけれど,今回は夜に食事の店を探す手間もなく(夕食を食べる店を探すことも,それはそれで楽しいのだけれど)民宿で用意していただく美味しい夕食,朝食を堪能することとした。

旅行サイトで予約する際に,何度も食事の有無を確かめた。そして出張のホテルだったらさっさと予約確定ボタンを押すのに,今回はドキドキしてなんどもなんども条件を確かめてから予約を確定させた。こうしたドキドキ,ワクワクがうれしい。

ということで長野への旅が始まった。

2025年8月12日火曜日

とんかつが食べられなくなってきた

 新潟に出かけた帰り,久しぶりに腹が減ったと強く感じたので,「とんかつ」を食べたいと思った。それも脂身たっぷりのロースとんかつを。

私は昔からとんかつが大好物で,結構な頻度で食べている。少なくとも毎週1回は食べているような気がする。

私が学生時代,上京してはじめて渋谷の道玄坂にあるとんかつ屋に入ってその美味しさに衝撃を受けて以来,とんかつは私の人生になくてはならないものになった。

ちなみに,このとき渋谷のとんかつ屋に入ってはじめてキャベツがおかわり自由と言われてびっくりした。またカウンターで食べていたら,たぶんモデル事務所のスーツを着た若い男性のモデルたち(?)5,6人が店に入ってきて,彼らのあまりの美形さに(当時(80年代)のコカ・コーラのCMに出てくるような美形)感動したのをいまでも覚えている。

さて,その日,国道沿いにあるとんかつ屋に車を止めて入っていった。まだ夕方5時になったばかりの頃で,そんなに店は混んでいなかった。にもかかわらず,お店の一番人気の熟成とんかつ200gはすでに売り切れているのだという。私はたいそうがっかりして,別の熟成ロースとんかつを頼んだ。ただし,大きさは160g。心の中で私は「量が足りるかな...」などと心配していたのである。

そして,とんかつがやってきた。一口食べると(このとき,ひだりから3切れ目を最初にいただくのがツウの食べ方である),脂が口の中にひろがって甘く感じる。うまい。この店のとんかつは上級だ!この甘く感じるとんかつを塩で食べるのが最高なのである。そして,一切れずつ口に運ぶ。毎回毎回,口の中にひろがる美味しさに幸せを感じていた。

しかし,しかしである。とんかつも残りが少なくなってくるころには,「もう十分!」と私の満腹中枢がそう訴えかけてきたのである。若いころ,いや数年前にはこんな感じになることなんて一度もなかった。体調が悪いときならともかく,おなかペコペコで臨んでとんかつに満足感を覚えるとは。。。年齢のせいなのか,それともその日の体調が悪かったのか。とにかく全部は食べたけれど,途中でもう十分と思ってしまった。

翌日,まだしばらく胃がもたれていた。内臓の衰えを強く感じた。残された人生,美味しいものを食べるくらいしか楽しみが残されていないのに,十分に食べることさえできない体力というのはあまりにも悲しい。内臓力を鍛える方法はないものか,と本気で思う。


#一昨日,かつ丼を食べた。豚肉120g。やはり食べるのがやっとだった

2025年8月11日月曜日

武術の技法に関する誤った科学的解説について

 動画サイトを見ると,武術的な技を科学的に説明しようと試みている動画が数多く見受けられる。謎とされてきた技の術理を,万人にわかりやすく伝えようとしていることはたいへん素晴らしいことだと思っている。しかし,解説を聞いていると科学的に誤った理論で解説されているものもあって,残念に思うこともしばしばである。

多く見かける誤った説明のひとつに「遠心力」がある。たとえばパンチの一種であるフックを例にとる。よくされている説明が,フックのように腕を振り回すと遠心力によってパンチ力が増すというものである。これではまるで遠心力が相手にあたる方向に働く,すなわち拳が円を描いて相手を殴るのであれば,その円の接線方向に働いているかのように説明されている。

しかし,これは全くの間違いで,遠心力は中心と物体を結んだ物体の法線方向に働くものである。糸の一端に重りをつけて,もう片端を手で持つ。重りをぐるぐると手で振り回してから,手を離すと重りは回っていく方向ではなく手と重りを結ぶ糸の方向に飛んでいくことからも,それを確かめることができる。それを相手にあたる方向に遠心力が働くなどとするのは大間違いなのである。

相手に力を与える場合には,その方向に力を働かせる必要がある。拳や足を廻して当てるフックや回し蹴りで相手が横に吹き飛ぶのは,その方向に拳や足が力を働かせているからなのであって決して遠心力で吹き飛んでいるのではない。拳や足の質量が小さいのに人があれだけ衝撃を受けるのは,拳や足の質量だけではなく,身体全体の質量を用いた運動量を使って攻撃しているからである。

この「質量」という言葉に対して,武術では「重心」という言葉もよく使われているのだけれど,これもまた誤用がたいへんに多い言葉である。科学的に説明しようとするのであれば,そのあたりに気をつけておかないと,せっかくの良い解説の評価が低くなってしまうのでもったいない。

2025年8月9日土曜日

武道修行者にとって幸せな時代

 これだけ動画サイトなどが充実してくると,さまざまな武術の技術や教えが広く公開されることになって,現代は武術を学ぶ者にとっては江戸時代などと比べ物にならないほど便利な世界になっていることは間違いない。

たとえば,漫画「拳児」の原作者nお松田隆智が「謎の拳法を求めて」という本でいろいろな武術を紹介していた頃は,「柳生心眼流」や「陳式太極拳」,「八極拳」などと言われても実際の動きをほとんど想像できず,それらはまさに「謎」の武術であった。

漫画「男組」や映画「刑事物語」シリーズなどで,彼が監修した八極拳や蟷螂拳などが少し披露されているのを見聞きして,そんなものなのかと思う程度だったのである。月刊「空手道」,「武術(うーしゅう)」,「秘伝古流武術」,「フルコンタクト空手」などの雑誌や決して多くはない武道書がその情報源だった(「鉄砂掌」「実戦フルコンタクトカラテ実戦中国挙法太気拳」「What is karate?」あたりが懐かしい)。だからこそ映画「少林寺」(すべてが本物!という宣伝文句。リー・リンチェイの演武はブルース・リーやジャッキー・チェンのものとは全く違っていたこと)に衝撃を受けたのである。

しかし,現代は全く違う。従来,「謎の武術」と呼ばれていたものがどんどん紹介されているし,その一部の技術はなんと解説付きで公開されている。また伝説の名人・達人の動画も残っていたりして,彼らの技量の高さの片鱗がうかがえる。こんな状況は100年前には全く想像できなかっただろう。いや私が空手を始めた40年以上前においても考えもしなかった状況である。

武術修行者にとってなんと幸せな環境になったのだろう。昔は技を公開するだけでもはばかられたものである。なぜならその技を見せるときとは,己の命をかけて相手の死命を制する真剣勝負の場であって,自らの技術の情報を相手に開示するなんてとても怖くてできなかったからである。だから各流派には秘術がやまほどあった。印可状などの巻物を見ても内容が想像できない名称がそれぞれの技につけられている。しかし,現代ではそれが動画で公開され,誰でも見ることができるようになった。

そのうえ,それらの動画は,見る人が見れば技を公開している人の技量まである程度わかってしまう。昔は師をさがすのに3年はかけろ,と言われたものだけれど,武術家の実力なんて技を見ずにそうそう判断できるものではないから,技が非公開にされていた時代には良き師を見つけることは相当困難だったに違いない。初心者が公開されている動画を見て判断するのは難しいかもしれないけれど,ある程度実力がついてくると見えてくるものもあるはずである。今では良き師にたどり着くまでに3年は必要ないかもしれない。

つまりは,この情報共有時代は,なんと武道修行者にとって幸せな時代だろう,ということである。世界の各地に伝わる不思議な武術や修行法,あるいは創始されたばかりの新しい武術でさえ,私たちは目にすることができる。そしてある程度,「見取り稽古」もできるのである。なんと素晴らしい環境なのか。

技を秘匿する必要がなくなったというのは,結局現代は昔に比べ平和な世界になったという証左なのだろう。

2025年8月3日日曜日

雪風 YUKIKAZE

 「雪風」の映画が公開されるらしい。「雪風」といえば,「ゴジラ -1.0」でも出てきた日本海軍の駆逐艦で,終戦まで生き残った不沈艦であり,「幸運艦」と呼ばれていたという。

私もそのくらいしか知らないし,詳細はWikipediaを見てもらえばよいのだけれど,この何度も任務を遂行して帰還したというのが大切なのである。

そう,ここで思い出すのが,神林長平のSF小説「戦闘妖精・雪風」である。主人公が搭乗する自律制御された超高性能戦闘機の名称が「雪風」なのである(戦艦ではなく戦闘機だが)。この戦闘機は,戦闘に参加するのではなく異星人との闘いのデータを取得し持ち帰ることが任務なのである。そのため,時には味方を捨てて帰還しなければならないことがある。どんな状況でも帰還する。だからこそ機体名は「雪風」なのだろう。

そうした非情の役割を果たすのだけれど,主人公の搭乗パイロットはどこか人間性に欠けている男で,一方雪風は自律制御系が意識を持ち始めていることを匂わせる挙動をし始める。別次元の宇宙から飛来する異星人は,対戦相手は人間でなく,雪風のような機械意識の方であると認識しているのではないだろうか。。。そんな疑問を残しながら話が進められていくのである。

とにかく,雪風は終戦まで帰還を成し遂げた奇跡の「幸運艦」なのである。たぶんそのために,映画になるくらい,つらい経験を山ほどしているのだろうけれど。。。そんなことを映画の予告編をみて思い出したのである。

#「戦闘妖精・雪風(改)」は数あるSFの中でも10本の指に入るマイフェバリットで,続編も書かれているし,アニメにもなっている。神林長平は新潟生まれで長岡工業高校出身というのもうれしい。

# そういえば,私の娘が「理科の先生の車に「ぜかきゆ」と書いてある」と話してくれたことがあった。私はすぐにピンときたが,それが意味するものが船だったのか戦闘機だったのかはいまだわからない

2025年8月2日土曜日

長岡まつりの神輿にまた感動する

 今年も長岡まつりの季節がやってきた。昨年も書いたけれど,8月1日は平和祈念のために神輿が担がれる。そして,和太鼓の演奏が行われる。

長岡まつりの復興祭は1日の午前から行われるけれど,夜9時近くになって民謡流しが終わり,ようやく神輿が出てくるスケジュールになっているので,つねづね夜に長岡の街を徘徊している老人としては,ちょうどよいタイミングで見ることができるのである。

今年も10基を超える神輿が出てきて,市一番の大通りである大手通りは人と神輿で埋め尽くされる。私はこのひといきれの状況が大好きである。お囃子にあわせて,気分がアガる。やはり祭りはこうじゃなければ,とあらためて思う。またいつもは老人しかいない大手通りも若者たちであふれ,長岡もまだまだ捨てたものではないという気持ちを新たにした。

「神輿」は英語でPortable Shrinesとなる。神様がおわす神社が人の手に担がれて移動するのだ。本当にそうだったら「神輿」というのは本当にすごい概念である。神様が町を練り歩くのである。日本のそうした文化,考え方は素晴らしいとつくづく思う。

また日本人は,神は静謐のうちだけにあるのではなく,祭りのような熱狂の中にもあると考えていたのだろう。西洋におけるサバトのように静かなミサだけでなく狂乱する宴においても人間以外の存在に触れることができるというのは世界共通のものなのかもしれない(熱狂するうちに行動が本能に大きく依存することになり,結果,祭りが「ストレス発散」,「癒し」の効果をもつ)。

長岡の神輿の中にも大きな男性器の模型を神輿に乗せて担ぐものがあった。古来からの生殖への信仰があからさまに表れていて,祭りが原始的な情動から始まっていることを思わせる。たぶん祭りという儀式は「神」が定義されるよりも古くから,集団的に暮らし始めた人間の生活において行われてきたに違いないと思えるのである。

人で埋め尽くされた大手通り

女性だけで担がれる神輿


金運上昇で有名な高龍神社に参拝する

私は 神社を参拝することは大好き なのだけれど, まだ地元長岡の神社をすべてお参りできたわけではない。今回は,金運アップで有名な(らしい)高龍神社にお参りしてきた。 初夏,学会で長岡にいらした方も「高龍神社」にわざわざ参拝に出かけられていたくらい金運アップで全国的に(一部,龍神フ...