2008年7月28日月曜日

立派に年老いてく

先々週の日曜日は,息子と一緒に
兵庫県立美術館に行って,
横尾忠則の展覧会「冒険王」を
観てきた.

一体,私はあの横尾忠則の作品が,
結構好きなのである.
あの怪しい色づかい.
あるいはY字路シリーズの構図.
一見,全然脈絡がないような題材.
そうしたものが,
私の無意識を刺激するらしく,
なにか心に引っかかる.
ついつい気になってしまう.

そんなこんなで,
東京の世田谷美術館での開催が6月に終了して,
神戸に横尾忠則展がやってきたと知って,
大変楽しみにしていたのである.

息子はまだ小学生だが,
奇妙な作品の数々を前にして,
すごい,すごいと感心していた.
でも,子供にはちょっと刺激が
強すぎたかな,とも思う.

横尾忠則氏は,いろいろな著作もあり,
それぞれがなかなか興味深いのだが,
最近,彼の「隠居宣言」という本を
読み始めた.
彼は70歳を越えて,「隠居」を
宣言したのである.

本のはじめに,
なぜ「隠居宣言」をしたのか,
ということについて彼が述べている.

彼はこれまで,
10歳程度年齢を自分に偽って
生きてきたのだという.
しかし70歳を迎え,
自分が年老いたということに
観念しはじめているらしい.

しかし,「隠居宣言」に至るには,
なんと小林秀雄の存在があったのだという.
彼は小林秀雄の講演の録音を聴いて,
隠居のカッコよさに気づいたのだとか.

実は,今朝,通勤中の車の中で,
ちょうど横尾氏が聴いたと思われる
小林秀雄の講演を聴いていた.
(私の希望を聞いてくれた猪名川図書館万歳!
しかし,昨日行ったら,何本か彼の講演の
録音のCDはすでに借りられていた...)

小林秀雄いわく,
年老いて,若い人の考えを持っていることを
自慢するやつが多い.
若い人に媚びている.
そんなことではいけない.
歳をとったら,歳をとらなければ持てないような
考えをすべきである.
論語でも言っている.
三十においては,三十の自立した考えがあり,
四十にならなければ,不惑ということがわからない.
年相応の考えを持つべきである.
そして陸沈して(市井に身を埋めて)隠居する.
落語に出てくる隠居のように,
小言はいうが,皆から慕われている.
そんな立派な老人になろうではないか.
と述べているのである.

小林秀雄はこのとき59歳.
横尾氏は70歳を越えてこの講演を聴き,
歳をとったらそれ相応の考えを持つべきだと考え,
「隠居宣言」に至ったのだというのだ.

私も今朝,この話を聴いて
大いに元気づけられた.
残念ながら私も老いを感じざるを得なくなった.
白髪も増えたし,腹の周りの肉も醜くなってきた.
なによりも昔のように身体が動かない.
体力が衰えて,集中力も以前に比べると
ずいぶんと落ちている.

しかし,それでも今の経験を積んだ私にしか
できない考え方があり,それでよいのだと
小林秀雄の話は勇気づけてくれる.
立派に年老いていけばよいのだ.

小林秀雄のようにカッコよくは年老いていけないし,
一方で,横尾氏のようにエネルギッシュにもなれない.
しかし,私は私なりに歳を経ていきたいと思う.

小林秀雄によれば,心理学者のユングは
アフリカによくフィールドワークに行ったそうで,
そこで,「老人」というイメージにぴったりの老人に
出会って感動したのだという話が残っている.

そんな老人に私もなりたい.

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