2008年7月11日金曜日

耳の遠さと補間法

最近,耳が遠くなったのか,
人に言葉を訊き直すことが多い.
あまり頻繁に聞くと失礼にあたるので,
申し訳ない気持ちになることもしばしばである.

歳のせいか,
はたまた携帯プレーヤのせいか,
とにかく昔に比べると,
耳の感度が落ちているようだ.

英会話だとそのことがはっきりわかるのだけれど,
実は私たちは,会話のすべてを
聴きとっているわけではない.

重要な単語を聴きとって,
(その反対にいくつかの助詞などを聴き落として)
その意味を無意識に推測して,
そして会話を頭の中で再構成していることが
多いのである.

逆に,すべての単語を聴きとらなければ
意味がわからなくなってしまうのであれば,
日常会話に不便をきたすだろう.

特に英語だと,Reductionなどが平気で
発生するから,単語自体の聞こえ方が
変わってしまう.
それでも会話が成り立つのは,
脳がその間を埋めて推測しているからである.

これはちょうど,データ解析などにおける
補間と同じようなものだといえる.
補間というのは,離散的な(とびとびの値の)
データとデータを
なめらかな曲線(あるいは直線)などで
補うことである.

私たちは日常的にデータ補間を行っている.
たとえば,2台の自動車が走っていて,
時刻0秒でその2台の距離が0m,
時刻2秒で2m,4秒で4mだったとする.
では,時刻1秒ではその距離は何mだったか,
などという計算を無意識に行っている.
脳は,時刻と距離の関係が比例であると推測して,
1秒では1mであろうと計算するのである.

このように得られたデータの間を推測する方法を
内挿といい,例えば時刻6秒における距離を
推測する方法を外挿という(6秒は得られた4秒までの
データの外側にあるから).

これと同様のことが会話の中でも行われている.
A,B,Cというフレーズをある人が話したとして,
Bが聞こえにくかったとする.
それでも,AとCのフレーズからBを推測することが
できるのである.
たぶん私たちの日常会話では,
このような補間が頻繁に行われているものと思われる.
(ただ,会話は物理法則などによって行われないので,
間違った推測をしてしまうこともしばしばである.
その結果,誤解が生まれてしまうことも多い)

さて,私の耳が遠くなった話に戻ると,
最近特に学生の会話が聞き取れなくなったと感じる.
この補間がうまくいかないのだとすると,
学生たちの会話をうまく推測できないということになる.
すなわち,学生たちが何を話すか予測できないのだ.
やはり世代の差なのか.
彼らの考えが予測できなくなっている以上,
私の会話の推定精度が悪くなってしまうのも仕方がない.
そして彼らに「えっ?」と会話を訊き直してしまうのである.

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