2008年7月15日火曜日

血液型性格判断ブーム?

本年の上半期の書籍の売り上げの
リストを見て驚いたのは,
血液型と性格に関する本が
上位に入っていたことである.

また血液型による占いや
性格判断が流行っているのだろうか.

まずはっきり言っておくけれど,
私は全く信じていない.
血液型と性格に相関があるだなんて,
確たる証拠を示した論文があるのならば,
ぜひ教えてほしい.
否定する論文であれば
数多く見つかるだろうけれど.

しかし,そうした血液型と性格の話を
理工系の学生ですら平気で話しているのだから,
本当に腹が立つ.
"遊びで","しゃれで"といっているけれど,
実際には彼らはずいぶんとその考え方に
影響を受けているように感じられる.

「OOO君って,もしかしてA型?
...
やっぱり~.
だって,几帳面そうだし~」

みたいな会話をしている人を見ると
吐き気がするくらいである.

私は,講義の中の雑談で
この血液型の話をすることがある.
血液型は,世界の各民族によって
偏っていたりするのだ.
たとえば,インディオに対する血液型調査では,
サンプルのほとんどがO型だったという.
じゃぁ,全員がみんな同じ性格なのか?
と学生に尋ねてみる.

(以前,こうした質問をしたら,

「あ~,だからその民族の人は
みんなおおらかな性格なんだ」

などと答えた人もいて
がっかりしたこともあるけれど)

ただ,ややこしいのは日本で血液型と
性格の統計をアンケートなどを行って
統計をとれば,A型は几帳面,B型は
気まぐれ,O型はおおらか,AB型は
多人格的などという結果が出てしまう
かもしれないということである.
いつも周りでそのようなことを
見聞きしているので,
血液型で規定される性格であると
思い込んでいるのである.
ほとんど洗脳されているようなものである.

学生たちは,"しゃれ"や"遊び"だから
いいじゃないか,などという.
しかし,そうはいっていても,
世の中にはそうした誤解が偏見を生み,
思わぬ差別を引き起こしていることも,
よく知っておかなければならない.

血液型によって人を判断するということに
そうした影の存在を感じないのだろうか.

現在のスピリチュアルブームだって同じである.
生まれ変わりを信じ,過去のカルマがあるから
現生が苦しいのだ,それが修行なのだという.
しかし,生まれながらにして,
そうした境遇が決まっている
ということであるならば,カースト制度と
同じではないか.
そうしたカルマから救ってやることが
彼らのためであるということで,
殺人を犯した(ポアした)のが,
あのカルト教団ではなかっただろうか.

私はこうしたことを簡単に信じてしまう,
現在の若者の在り方を
むしろよく考えるべきだと思う.
またあの過ちが繰り返されるのではないか,と
心配してしまう.
なぜ彼らはそうした考えに陥りやすいのだろうか.

疑似科学,迷信などは,
それ自体の研究も面白いけれど,
むしろそれに踊らされる人間の心理の方が,
よほど研究対象として面白いのではないだろうか.

不思議なことは不思議なこととして
謙虚に受け止めてよく考察する.
その態度が大事なのであって,
盲目的にそれを信じることの過ちを
よく反省すべきではないだろうかと思う.

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